1990年代に起きた女子高生ブーム。1997年、渋谷の街を歩く女子高生(イメージ、時事通信フォト)
繰り返すが、パパ活に肉体関係の強要は、基本的にはないものとされている。実際、パパ活をする側の女の子たちにもその認識はあって、アプリでマッチングしたパパ活女子と食事だけで帰られてしまったという男性のぼやきを何回も聞いている。しかし、このぼやく男性のように、深い関係を結ぶのが当たり前と考える人たちが増えており、そのことによってディープな活動のカジュアル化がすすんでいるというのだ。
本来は深刻で、気軽に始められる「活動」とは言えないはずにも関わらず、言葉が変わったことでカジュアル化がすすむのは、これまで幾度も見られた傾向でもある。
1990年代の女子高生ブームとともに認知が広まった「援助交際」という言葉は、デートクラブが斡旋する「交際」を指していた。そこには確かに、デート相手との金銭が介在する肉体関係も含まれていたが、必ずしも必須のものではなく、ファミレスで一緒にご飯を食べるだけ、一緒にカラオケに行くだけ、という「交際」もあった。ところが、言葉が世の中に広く知れ渡ると同時に一般化すると、女性たちの中の意識も変化したのか、援助交際は体を売ることと同義となった。
「パパ活」にも、やはりこのカジュアル化の波が押し寄せているというのだ。
「援助交際ブームの終わりには『援デリ』という業者までできて、女性の管理売春が始まりました。男は女性が素人だと思っていますが、本当はプロ。いや、途中でプロにならざるを得なくなった女性も少なくはなかったです」(野中さん)
実行者を管理下におき組織だって運営される管理売春は、もちろん日本の法律では違法だ。しかし、そこに市場がありそうだと察知すると、必ず管理するグループが出現するのも、残念ながらこの界隈の特徴である。市場の動向に敏感な彼らは、通常であれば躊躇してしまうような行為も、表現をカジュアルにすることで、そこに飛び込んでくる女性が増えることに気がつくと、違法だろうが関係なく、女性を管理してビジネスにしようと目論んだ。
組織だってはおらず、あくまで個人のフリーランスプレイヤーとして援助交際をしていた女性たちは、ほとんどがその行為を公には伏せていた人たちだ。つまり、秘密にしておきたい、人に言えないやましいことだと思っているのだが、その気持ちは弱みにもなることを悪意ある人たちはよく理解している。だから客を装った彼らに「事実をバラす」などと脅迫され、相手の支配下に入り、違法な管理売春に組み込まれるような事態が相次いだのだ。
「援助交際デリバリーとでもいうのか、出会い系サイトや掲示板によって管理する業者が客を募ります。客とのやりとりも業者がやって、女性は客からもらった報酬の中から何割かを業者に渡す。援助交際は気軽なもの、と勘違いしていた女性達が次々に食い物にされていく様は、まさにミイラ取りがミイラになっていく様子そのものでした」(野中さん)