まだ柏山が台北の祖父母の家に暮らしていた頃、彼や三歳上の従兄〈王誠毅〉が幾ら大陸での冒険譚をせがんでも、叔父の重い口からは〈餓死者〉〈人民公社〉〈民兵〉といった単語が語られるばかりだった。そこで彼らは〈じゃあ、その共匪のミンペイのボスがソーダ水だったんだね? 二叔父さんはそいつを撃って逃げたんでしょ?〉などと、叔父のホラ話に登場したソーダ水と同じ発音を持つ悪玉的親分〈蘇大方〉に関する勝手な妄想を日々膨らませていた。
〈化け物が中国大陸で跋扈しているというのは、当時の台湾の子供にとっては不思議でもなんでもなかった。わたしたちの台湾が正義なのだから、あちらには正義に災いをなす邪悪なものがわんさかいて当然だった〉
それから幾年月。6歳の時、東大で学ぶ両親に引き取られる形で台湾を去った柏山は長じて作家となり、結局は何も語らずに逝った叔父のことを小説に書いた。その小説『怪物』が海外の文学賞候補に上ったことで彼は一躍脚光を浴び、台湾の催しに呼ばれることに。
現実と小説はあくまで双方向
その際、同行したのが担当編集者〈植草〉と海外担当の〈椎葉リサ〉だ。柏山はこの一見地味な人妻についほだされて一夜を共にし、かと思うと彼女が植草とも寝ていたことに傷ついたりと、大いに心を乱される。
一方、従兄の王誠毅が台北市内で饅頭を商う傍ら予兆的小説を書いたり、ある時には〈藤巻琴里〉なる人物から祖父が『怪物』の主人公を知っていると、古い写真を同封した手紙が舞い込んできたりもする。
そうする間にもリサとの仲は深まり、琴里の祖父の証言や誠毅の小説にも影響されながら、柏山は『怪物』の改稿に鋭意取り組むのだ。
「僕も戦争の話は祖父から多少聞いている程度ですし、次の世代にどう記憶を繋げればいいのかと考えた時に、こうして小説にさりげなく盛り込む形が、今の僕には最も有効に思えたんです。
夏場に増える戦争番組も若い子にすれば教科書的で、自分のこととして捉えにくいかもしれません。例えば人間の尊厳や自由や極限で見せる愛を炙り出す装置として戦争を描いて、今日的な価値を見出したい。現にそういうことをやれている作品はたくさんあって、それに背中を押された部分もあります」