白地にピンクの華麗な衣装でリンクに立った羽生結弦(27才)が、美しいピアノの旋律に合わせて滑り始めたのは、東日本大震災からの復興を祈って幾度となく滑ってきた『春よ、来い』だった。北京五輪の最終日となる2月20日、フィギュアスケートのエキシビションで披露した完璧な3回転半ジャンプと、まるで氷にキスをするような優雅な舞に会場からはため息が漏れた。
競技直前の北京入り、緊急会見の開催など、今回の五輪では、異例の事態が続いたが、その中でも特筆すべきは、羽生の隣に、いつもいるはずのある人物の姿がなかったことだ。
「五輪開始後まもなく、羽生選手が所属するクリケットクラブのコーチ、ブライアン・オーサー氏が、羽生選手の意向で、リンクサイドには立たないことを明かしました。実は、オーサー氏は金メダルを目指すなら、4回転半をプログラムに組み込むべきではないと進言してきましたが、羽生選手は耳を貸さずに、自分の意志を貫いた。
コロナ禍もあって仙台を練習拠点にしてからの2年間は、技術的な指導もほとんど受けていなかったようで、今後羽生選手がオーサー氏の指導を受けるためにカナダに戻ることはないでしょう」(フィギュアスケート関係者)
北京五輪では気になる存在もあった。常に羽生のリンクサイドにいた、メガネをかけた男性だ。
「エキシビションでも、最後まで羽生選手の隣でiPadに向かう彼の姿が見られました。一部ではオーサー氏に変わる“新たなパートナー”なのではと囁かれました」(五輪を取材したジャーナリスト)
しかし、この男性は今後の羽生の競技生活の方向性を占う「キーマン」ではないという。
「彼は元アルペンスキーの選手で、北京では日本選手団のフィギュアチームの雑務を担っていました。今回は羽生選手がコーチ不在だったため、彼の”お世話”を担当したようです。この男性とはエキシビションでお別れし、羽生選手は閉会式に参加せず、仙台へ戻ったようです。今後も仙台を拠点に練習を続け、まずは次の目標を見つけることに専念するのでは」(前出・フィギュアスケート関係者)