警察は妙義山ベースの遺留品から同志殺しが起きていたことを疑い、植垣に自供を迫った。だが、それに応じなかった。植垣が態度を一変させたのは、連合赤軍の指導者だった森が3月になって裁判所に提出した上申書がきっかけだった。死んだ同志の遺体を遺族に返すよう求めていた。
「取調官から上申書を見せられたけど、仲間の死も全て黙秘していた自分がバカみたいに思えてきた。『だったら喋ってやるよ』と思ってしまった」
その森は事件翌年の元日に東京拘置所で自殺した。「総括問題から逃げたな」。そう植垣は感じた一方で、これ以降は自らが主導して連合赤軍の過ちの原因を突き詰める作業を全うしようとする。
(第4回へ続く)
【プロフィール】
竹中明洋(たけなか・あきひろ)/ジャーナリスト。1973年山口県生まれ。北海道大学卒業。NHK記者、衆議院議員秘書、『週刊文春』記者などを経てフリーランスに。著書に『殺しの柳川』(小学館)など。
※週刊ポスト2022年3月11日号