塗木監督は県内の公立校で指導を重ねてきた
練習試合が組めない!
大島高校では、平日の練習はわずか1時間半から2時間程度。
グラウンドはそれなりに広さがあるものの、野球部の他にサッカー部、ラグビー部、女子ソフトボール部が使用し、野球部の練習は内野ほどのスペースしかない。外野ノックやフリー打撃は他の部活動が終わってからだ。
やはり決定的に不足するのは実戦練習ですか──と問うと、塗木監督は南九州でよく耳にする「ですです」の相づちのあとこう続けた。
「ただ、離島のハンデという言葉は好きじゃない。練習試合ができなくても、工夫と発想があれば、ハンデはむしろアドバンテージとなる。離島の学校でも勝てるんです」
相手校の部員数の関係で島内の学校と練習試合を組むことはできず、実戦練習は紅白戦で培っていく。主力でAチームを構成し、控え中心のBチームには工夫を凝らす。
「総合力は劣っても、足の速い子、バッティングの良い子、守備の上手い子はいる。3人が束になれば一人前になる。だからBチームは足専門、打撃専門、守り専門の選手を起用したりして、実力を拮抗させます」
紅白戦では攻守交代の時間を「20秒」に定めてナインを急かしていた。審判団が迅速に試合進行させる甲子園の戦いを見据えてのことだろう。
ただ、本番を想定した練習を繰り返してもなお、アクシデントは起きる。
組み合わせ抽選が行われた3月4日の夜、塗木監督や部長らは大慌てで各所に連絡を入れた。
同校は3月9日から和歌山で短期の合宿を行ったあと、甲子園入りするスケジュールを組んでいた。和歌山では智弁和歌山や箕島との練習試合を予定していたところ、和歌山県の教育委員会が県外の学校との試合を禁止に。旅館等の手配もやり直しとなったのだ。
3月12日に急遽組まれた練習試合の相手は京都の龍谷大平安だった。8年前に選抜出場した際に初戦で対戦した相手である。その時は2対16で大敗し、平安はその大会を制した。それから8年後、大野稼頭央が先発した1戦目は0対2で敗れたものの、小さな大黒柱は105球(自責点0)で完投した。肌寒い中でもMAXは144キロをマークした。