エッセイ執筆のためにレズビアンの集まりを取材
こう考えるようになるまで、私はいくつかの失敗をした。レズビアンの人を傷つけてしまったこともある。かれこれ20年近く前のこと。まだ LGBTQ +(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、クエスチョニング、クィア)などという言葉もなく、同性愛者の人たちは今よりもっとマイノリティで、それらの人への偏見も強かった。私は異性愛者だけれど、自分には同性愛者への偏見なんか絶対にないという自負があって、エッセイのためにあるレズビアンの集まりを取材した。大いなる偏見に晒されているであろう彼女たちへの偏見を少しでも取り除きたいなんて意気込んでいた。
私は見たこと、感じたことをそのまま書いた。自分には偏見がないという自信があったから。しかし、私の文章が掲載されてから、編集者経由で届いた当事者の反応は「大変、傷ついた」というものだった。何がいけなかったのか詳しくは教えてもらえなかったが、私の「未知への世界」という形容にも拒否反応があったそうだ。未知というのが「普通ではない」と同義語であるとのことだった。
偏見はないつもりだったが、悪意はなくても無意識に偏見を抱いていたのだろう。自分の想像力のなさに落ち込んだ。そして、レズビアンの人たちへの偏見を少しでも取り除きたいという気持ちより、いい文章&おもしろい文章を書きたいという欲望の方が強かったことに気がついた。そう、私はレズビアンの人たちをネタにした。そのエッセイを「おもしろかったよ」といってくれた友人もいたけれど、いわれればいわれるほど罪悪感が増した。
あの頃から、ほんの少しだけ時代は進んで、LGBTQ +という言葉も定着しつつある。まだまだ一部だけれど。ドラマのヒット作『昨日、何食べた?』や『おっさんずラブ』も生まれ、女装家といわれる人たちが人気タレントになったりもした。
しかし、女性の同性愛者、両性愛者(バイセクシャル)、生まれた性と性自認が一致しない人(トランスジェンダー)や自分のセクシャリティを決められない、もしくは決めない人たち(クエスチョニング)については、理解どころか存在を認知されていない。こうした人たちが世間に理解され、LGBTQ +という言葉も必要なくなった時に初めて、エイプリルフールに同性婚をジョークにできるのではないだろうか。
◆甘糟りり子(あまかす・りりこ)
1964年、神奈川県横浜市出身。作家。ファッションやグルメ、車等に精通し、都会の輝きや女性の生き方を描く小説やエッセイが好評。著書に『エストロゲン』(小学館)、『鎌倉だから、おいしい。』(集英社)など。最新刊『バブル、盆に返らず』(光文社)では、バブルに沸いた当時の空気感を自身の体験を元に豊富なエピソードとともに綴っている。
【2022年4月7日 12:39追記】 本文で、「両性愛者(トランスジェンダー)、生まれた性と性自認が一致しない人(クィア)」 との記述がありましたが、正しくは「両性愛者(バイセクシャル)、生まれた性と性自認が一致しない人(トランスジェンダー)」でした。お詫びして訂正いたします。