患者の死からは逃れられない
昨年夏、都内某駅の駐輪場を張り込んだ末並氏はついに美恵さんを発見する。運転免許の有無に着目した記者の勘が生きた格好だが、この時、〈10年、隠れてたけど、見つかっちゃうものですね〉と呟いた元夫人から見たもう一つの真実を、5章「山谷のマザー・テレサの告白」に綴るのだ。
「山谷は福祉の街としては実に先進的で、当初は僕も山谷こそ『2025年問題』(団塊世代が75歳以上)を先取りする町だという本を書こうとしていたんです。でも山本さんやいろんな人の話を聞くうちに、山谷システムは山谷だから可能で、仮に他でやるとしても強制は絶対しちゃダメだと、痛感させられたんですね。
半径1.7キロ圏に支援対象や福祉インフラが集中し、言い方は悪いけど可哀想な人のために何かしたいという情熱の持ち主が歴史的に集まる特殊性が、山谷の福祉を奇跡的に実現させているんです。
医者も看護師も介護士も元青年海外協力隊的な人が多く、制度からハミ出したことを喜びとしてやれる人たちなんですよ。それを山本さんは〈愛〉だなんて格好よく言いますけど、愛や〈善意〉といった曖昧で不確かなものに頼る危うさも、本当は痛いほど知っているはずなんです」
若い頃から鬱病に悩み、あえて無謀な夢を掲げては生命力としてきた山本氏は、江原啓之氏が資金を提供し、結局決裂した第二のきぼうのいえや、山谷全体をきぼうのいえにする計画も構想。その間も精神薬と酒を同時摂取、心身は悲鳴を上げた。
「むしろこれは、やってはいけない福祉かもしれず、善意剥き出しで走った結果、痛んでしまうのは何も彼に限らない。患者が垂れ流す呪詛に日々晒され、次々に人が亡くなる生々しさから逃れたくても逃れられないのが、現場の現実なので」