泰介は当然否定したが、〈そんな言い訳……通用するわけないだろ〉と支社長に自宅待機を命じられる。荷物をまとめていると1通の見慣れぬ封書を見つけるが、ようやくその中身を読めたのは、野次馬によって自宅に帰れず、連絡した警察も助けてはくれない中、妻と娘に当面は実家にいるよう連絡し、市内のビジネスホテルに逃げ込んでから。
そこには〈事態はあなたが想像している以上に逼迫しています。誰も信用してはいけない〉と書かれてあり、〈どうしても辛くなったら「36.361947,140.465187」〉という謎の数字列と、〈セザキハルヤ〉なる署名が添えてあった。そしてこの瞬間から濃密で、価値観を根底から揺るがす、彼の逃亡人生が始まるのだ。
「メッセージ、というほどクリアではないんですが、自分の中に漠然とある時代感覚や疑問を伝える触媒が、本作で言えばネットの炎上や逃亡劇だと思うんですね。その逃亡劇がスリリングで面白かったとか言ってもらえると、それだけで十分嬉しいんですけど、最後に何か、読者が日常に持ち帰る価値あるお土産があればもっといいと思って小説を書いている側面があります」
「誰が悪いか」ばかり語る空気
「今作の場合はコロナ禍を意識しました。序盤はまずマスクでしたよね。暇な老人が薬局に並ぶせいでマスクが買えないと若者がネットで叩く一方、年配者は飲み屋で騒ぐ若者こそが諸悪の根源だと叩く。つまり全員が『誰が悪いか』ばかりを語り、責任を絶対自分に帰結させたがらない空気を猛烈に感じたんです。
そして世代や性別や国籍など、ありとあらゆる立場を比べ、『自分は悪くない』と言い合う対立状況の極限で起きるのがネットの炎上じゃないかと。おそらくみんなの中に元々あった『俺は悪くない』という叫びが、コロナで可視化されただけなんです」
後に被害者は県内の女子大生と判明。続いて泰介宅の倉庫からも新たな遺体が発見され、彼女も同じアプリで「たいすけ」と会っていたことがわかり、パパ活連続殺人かとネット上は騒然とする。が、身勝手な推測やデマばかり垂れ流す呟きの主たちや、たいすけ=泰介と信じて疑わない職場や警察。そして無実の罪で追われ、誰一人信じてくれる人間がいないことに絶望する泰介自身、言い訳を続け、周囲や自分と向き合わずにきた1人である。本書では誰もが愚かで、誰もがフツウなのだ。