東京五輪でも大活躍だったが、当初は競技に否定的だった Ⓒパラ神奈川SC
国枝慎吾のプレーに「衝撃を受けた」
車いすスポーツを始めたのは、2008年の北京パラリンピックに出ている国枝慎吾選手をテレビで見たのがきっかけです。「車いすなのに、こんなに激しく動けるんだ、かっこいい!」と、衝撃を受けました。その頃はまだ歩けたのですが、僕が目を輝かせているのを見て、ゆくゆくは車いすユーザーになることを見据えていた母がテニスの体験会に連れて行ってくれました。でも、いざ行ってみると「なんで車いすに乗ってスポーツをやらなくちゃいけないの」「僕は立ってテニスをする」と、嫌がって参加しなかった。
集まっているのは初心者の子どもばかりで、テレビで観た国枝選手と違ってあまり面白そうに思えなかったのですが、その体験会が終わった後に、大人の選手が激しくラリーをしているのを見て、「これがやりたかった!」と大人たちに混ぜてもらいました。
本格的にバスケを練習したいと思ってクラブチームに所属したのですが、チームメイトは自分より10歳も20歳も年上の大人たちばかり。自分の両親より年上の方もいました(笑)。でも、手加減なしで勝負をしかけてくるんです。当時12歳の僕にガチでディフェンスして、シュートも決めちゃうような。普通は嫌になっちゃうのかもしれませんが、負けず嫌いだった僕は、対等にスポーツで勝負ができることが嬉しくて楽しかったですね。
それとは別に、ジュニア選手が集まる合宿にも参加していたのですが、こっちは同世代だけが集まっていて、学校で経験できなかった部活動のようで、まったく違う楽しさがありました。学校ではなかなか素の自分ではいられなかったので、車いすバスケットボールの世界が心の拠り所になっていました。