私生活でも、母親は厳しく羽生を律した。
「羽生選手に浮いた噂がほとんど出ないのも母親によるところが大きいと思います。常に寄り添っていたうえ、練習に追われて恋愛する暇もなかったということもありますが、それだけではありません。
幼い頃から切磋琢磨してきた女子フィギュアスケーターと恋に落ちたこともありました。お揃いのアイテムを持ったり、見ていてほほえましい恋だった。でもちょうど羽生選手が世界に打って出るタイミングでもあって、コーチが別れるように言ったのです。結果、母親が間に立って羽生選手を説得した。
若いふたりの恋を止めるのに母親としては複雑な感情もあったでしょう。でも心を鬼にして“敵役”を買って出ていましたね」(フィギュアスケート関係者)
そんな母親と衝突することも一度や二度ではなかった。
「けれどあるとき、母親の思いに気づいたんでしょう。自分自身のメンタルのためにも、常に身の回りのことをしてくれている母親との関係を良好に保つことを優先すべきだと考えたのだと思います」(スポーツ紙記者)
コロナ禍で他人との交流が激減すると、ますます一家の結束が深まっていく。
「ぜんそくが持病の羽生くんは感染防止のためにも昼間は一歩も外へ出ず、暗くなってから深夜まで練習をするようになり、リンクへの送迎は両親だけでなく、お姉さんが担当することも増えました。完全に昼夜逆転の生活ですが、一家全員、それを当たり前のことと受け止めていたようです」(前出・羽生家の知人)
そうして迎えた北京五輪では、帯同するメンバーが厳しく制限される中、選手村ではなくホテル滞在を選んだ。羽生に寄り添っていたのは、やはり母親だった。
いつでも誰よりも近くにいて「スケーター羽生結弦」を支え続けた家族。北京五輪後、その家族について語ったとき、羽生が使った言葉は「守る」であり「犠牲」だった。
「彼には、どこかに家族を“解放”してあげたいという気持ちがあるのだと思います。特にお母さんにはゆっくり休んでほしいし、お父さんにももっと楽をしてほしい。長い間同じマンションに住んでいますから、新しい家の購入などの親孝行も考えているでしょう。お姉さんに対しても、ゆくゆくは自分の家族を作ってほしい、自分自身の幸せを掴んでほしいと願っているのだと思います」(前出・羽生家の知人)
※女性セブン2022年8月4日号