気持ちを表出することで救われる
特に最愛の祖母を喪った16年前後、〈祖母もまた道を譲られたのだろう救急車の過ぎゆくを待つ〉、〈この水は涙になる水 病棟の自販機で買うミネラルウォーター〉、〈悲しみは深爪に似て日に幾度触れては痛む失ひしもの〉等々、聖子さんの歌は輪郭がより尖鋭になる。その様子を〈おつきさまみたいにママがやせたのはおばあちゃんがもういないから〉と当時6歳の葵さんは詠み、亡き祖母の人柄ごと継がれていく頼もしさを思う。
「そうならいいんですけど……。幸い今はまだ“母=いいもの”だと思われているらしくて。例えば私が『ごめんね、疲れたから5分だけ本を読ませて』と言うと、どうやら本を読む時間は母にはご褒美らしい、つまり“本=いいもの”なんだという理解になり、今では彼らも大の本好きです。
短歌も同じように、私がはがきで歌を出している姿を見て『何してるの』と興味津々で聞いてきた葵に、57577で31字にして、あとは自由、と教えたら、その場で指を折って詠み始めたんです。本人達は“だいたい31文字で楽しかったことを詠めば新聞に載って祖父が電話してきてくれる”ぐらいの自由さと気軽さなんです。
特に聡介は夏休みの1行日記みたいに事実をそのまま述べる系の歌が多いのですが、時々、〈ふうせんが九つとんでいきましたひきざんはいつもちょっとかなしい〉などドキッとする歌があるんです。葵は歌の推敲時に書棚から歳時記を出してきて言葉を探すなど、詩心があるなあと思います」
〈弟が父に短歌を教えてた「ならったかん字はぜんぶつかいや」〉と娘に詠われた夫も含めて、星や庭の花々を愛で、指折り数えては歌にする一家の姿が歌集からは目に浮かぶよう。
「子らは歌のたねになりそうなことがあるとすぐに文字を数えて投稿しています。私自身、祖母のお通夜で夜伽をしながらも無意識に指を折って数えていたときには我ながら驚きもしましたが、そうやって少しずつ気持ちを表出させることが日々の自分を助けてくれていることもあるのかもしれません」
短歌を詠むことは、もう1つの目を持つこと。そして1つ1つは個人的な〈記憶を記録〉した歌が、読み手の立場の違いを超えて普遍的に人々を繋ぎうるだけに、今後の継続が一層楽しみだ。
【プロフィール】
山添聖子(やまぞえ・せいこ)/1979年奈良県生まれ。結婚を機に滋賀へ転居。2012年に初めて詠んだ短歌を朝日歌壇に投稿、見事入選し、今では長女・葵さんや長男・聡介君共々、朝日歌壇の常連に。「入選の秘訣ですか…、これは朝日歌壇のイベントで聞いたのですが、(1)楷書で書く、(2)選者の方は週に何千枚もハガキに目を通されるので、せめて裏返す手間が省けるよう、歌と名前を同じ面に大きく書くよう心掛けています」。現在は奈良市在住。160cm、A型。
構成/橋本紀子 撮影/国府田利光
※週刊ポスト2022年9月16・23日号