私が韓国語の勉強を始めた年に光州事件があって、同じ年ごろの学生が銃で撃たれるのをニュースで見てショックを受けたということがまずあります。社会問題に関心があって、女性史などの勉強会をやっていたんですけど、そのサークルの部室の隣が朝鮮語を勉強するサークルで、敷居が低かったというのも大きいですね。朝鮮語サークルの人に1週間でハングルを覚えられる格安の夏期講習をやるからと言われて、受けたら本当に読めるようになったんですよね。そのころテキストとして先生から紹介された作品が、この本にもいくつか入っています」
『こびとが打ち上げた小さなボール』も、学生時代に初めて読んだそうだ。検閲が厳しい時代に書かれた作品なので、空白も多く、謎が残る書き方がされているそう。そのぶん、考えれば考えるほど面白くなる小説だという。
それぞれの作品についての斎藤さんの解説がほんとうに面白い。一文一文を丹念に読み込む翻訳者の読解の深さに、何度も感嘆させられた。
「この本では作品の背景にある歴史を書きましたけど、文学作品って、いくらそうした周辺情報を集めても『正解』があるわけではないんですね。自分が翻訳した作品でも、翻訳者が一番わかっているとは限らないと思うことがよくあります。最近はインターネットで読者の感想が読めるようになって、ハッとする感想が必ずいくつもあるんですね。本が出た時点で完成、ということはなくて、本が出たときは、たとえて言うと球の半分しかない状態で、読んだ人が感想をフィードバックしてくれて、残りの半分が形をあらわし、ようやく完成に近づくんじゃないかな、と感じています」
【プロフィール】
斎藤真理子(さいとう・まりこ)/1960年新潟県生まれ。翻訳者、ライター。主な訳書に『こびとが打ち上げた小さなボール』(チョ・セヒ)、『フィフティ・ピープル』(チョン・セラン)、『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ)、『年年歳歳』(ファン・ジョンウン)ほか多数。2015年『カステラ』で日本翻訳大賞、2020年『ヒョンナムオッパへ』で韓国文学翻訳大賞を受賞。翻訳以外の日本語の単著は本書が初めてになる。
取材・構成/佐久間文子
※女性セブン2022年9月22日号