「昭和の名人」といわれた六代目円生(共同通信社)
こじれた問題が再燃したのは2008年だった。先代圓楽が自らの筆頭弟子である三遊亭鳳楽を七代目円生にすると宣言したのだ。
だが翌年、先代圓楽が亡くなると、三遊亭円丈と三遊亭円窓が「名跡は円生の直弟子が継ぐべきだ」などと異を唱え、鳳楽、円丈、円窓の三つ巴による「七代目円生襲名争い」が勃発した。大名跡をめぐり亀裂が入るなか、仲裁役を買って出たのが円楽さんだった。
「『師匠(先代圓楽)の尻拭いができればいちばんの親孝行』と心を決めた円楽さんは、関係がギクシャクしていた円生さんの直弟子らとコミュニケーションを図り懸命に説得しました。2014年には、先代圓楽さんの七回忌を機に『三遊ゆきどけの会』を開催。円生門下が高座に上がり“手打ち”を行い、古くからの落語ファンを感涙させました。円生の名跡を争っていた3人も円楽さんの行動に心を動かされ、名跡争いを水に流すことに同意しました」(前出・落語関係者)
三つ巴の争いが鎮まって以降、大名跡ゆえに名乗りを上げる者はなく、円生の空位は続いた。
円楽さんは2019年に出版した自著『流されて円楽に 流れ着くか圓生に』で円生襲名への意欲を示した。以降は襲名への思いを隠すことなく、肺がんがわかった際は「がんになるなんて、『円生さんなんて、お前さんには早いですよ』って、六代目(円生)が怒っているのかなあ」と冗談交じりに語りながらも、「おれが生きている間にやらないと」と執念を燃やした。
「70才を超えた円楽さんが円生襲名をめざしたのは自分が名を馳せるためではなく、落語界全体を考えてのこと。大名跡が復活すれば世間から注目され、落語界が盛り上がります。円楽さんは病に侵されながらも、円生という大名跡を後進が受け継いでいくことが、落語という伝統を守ることになるとの信念を持ち、是が非でも襲名しようとしていた。それだけに志半ばで亡くなることは悔しくて仕方なかったでしょうね」(前出・落語関係者)
昨年、円楽さんは毎日新聞の取材にこう答えていた。
《オレは『つなぎ』なんだと。円生の名を世の中に出さないと忘れられちゃう。(2021年で)四十三回忌なんだから。みんなが忘れたころに継いでごらん。なんでもなくなっちゃうよ。オレが継げば、とりあえず、楽太郎から円楽になって円生になったと。どうでもいいよ、芸のことは。ただ、世の中に知らしめるのに必要なの》
だが夢はかなわなかった。円楽さんという「重し」を失い、今後は波乱含みだ。
「円生直弟子は圓楽一門会を快く思っていません。円楽さんが円生を継げばすべて丸く収まったけど、場を取り持っていた円楽さんが亡くなったいま、円生の名跡問題は振り出しに戻ってしまいました。それどころか、円生直弟子と圓楽一門会の間に再び亀裂が生じるかもしれません」(落語記者)
円楽さんの思いを反映したように、戒名は「泰通圓生上座」で、本名の泰通と襲名を願った円生の文字が含まれている。襲名をめぐる騒動の“オチ”はどうつくか。
※女性セブン2022年11月10・17日号
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2010年3月に行われた円楽さんの襲名披露会見
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