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「たくさんのおしゃべりがゆったりと漂う世界」猫が営む“どて煮屋”の物語…その魅力

退院し自宅で最後の日々を過ごすことを決めた中村君。その顔は穏やかだった

退院し自宅で最後の日々を過ごすことを決めた中村君。その顔は穏やかだった(『トラとミケ』の単行本4巻より)

 女性セブンの人気月イチ連載漫画『トラとミケ』の単行本4巻が発売。トラとミケが営む“どて煮屋”に集うお客の人生模様を描いたこの作品。そこで描かれる世界の裏側について、大阪大学大学院人文学研究科講師・三木那由他さんが綴る。

 * * *
 最近、たまたま立て続けに同世代のひとの死に出会って、私はいったいいつまで生きていられるのだろう、最期の日々はどう過ごすのだろうと考えることが多くなった。どこかの風景を見に行きたくなるのだろうか、何か穏やかな音楽を聴きたくなるのだろうか、それとも変わらず仕事を続けたくなるのだろうか、などなどと考えつつ、でも脳裏に思い浮かぶのは自分が何かをしている姿ではなく、これまでに会った大事なひとたちの顔だ。私はきっと、そのときまだそのひとたちがいるのであれば、安心できるひとたちとなんでもない話をして、ゆっくり一緒に時間を過ごして、終わりを迎えたいと思っているのだろう。誰かとしゃべるということが、たぶん私にとっては大事なのだ。

『トラとミケ4』は最後の日々の物語だ。名古屋を出て、東京でずっと仕事に生きてきた中村という男が、同級生の葬式をきっかけにして故郷に戻ってくる。中村はステージIVの癌を患い、先はもう長くない。

 この作品は、奇跡の物語を提示するのではなく、生活を描こうとしているようだ。中村は残された日々を、だんだんと衰弱し、弱音も吐きながら、トラとミケのもとを訪れて冷ややっこを食べたり、同窓会に出席したり、将棋を指したり、近所のひとたちの悩みを聞いたりして過ごす。

 哲学なんてものをやっていると、世界というのはたいそうなものに思えてくる。それはあらゆる存在を内包した広大な何かであったり、目に見えるものの背後にある得体の知れない何かであったりする。そうしたものについて考えるのは、それはそれで楽しいのだけれど、でもきっと、私が実際にいま生きている世界も、そして死を前にして「離れたくない」と惜しむ世界も、そうしたものではない。友人やパートナーがいて、道行くひと、よく行くお店のひとがいて、そんなひとたちとしゃべったり、あるいは自分自身はしゃべらなくても、ほかのひと同士でしゃべっているのを聞いたり、そういったものが私には「私の生きる世界」であるように感じられる。私の世界は人々の話し声でできていて、そして最期が近づいたなら、人々の話し声でできたこの世界を惜しんで、ゆっくりと撫で、感触を確かめるようにして、安心できる人々としゃべろうとするだろう。

 この作品にあるのはそういう世界だ。特別なことは特に起こらない。でも、そこには去っていく中村が愛しく感じているたくさんのおしゃべりがゆったりと漂っていて、トラとミケのお店はそれを象徴する場のように思える。だからこそ、優しさも悲しさも混ぜこぜになった愛らしさが、この作品には感じられるのだろう。

シリーズ最高傑作の呼び声が高い『トラとミケ』4巻

シリーズ最高傑作の呼び声が高い『トラとミケ』4巻

【プロフィール】
三木那由多(みき・なゆた)/大阪大学大学院人文学研究科講師。言葉とコミュニケーションの研究を行う。著書『会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション』が話題。

※女性セブン2022年11月10・17日号

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