コロナの後遺症を明かしていた
家族でお酒も楽しんでいた。
「9月には、敬老の日のお祝いで、郁恵さんのお母さんのためになじみのお店に家族全員で集まったそうです。以前は渡辺さんの食事だけ、塩分を控えめにしてもらうこともあったようですが、全員で同じものを食べたとか。日本酒を飲みながら、2人の息子と演劇談議で盛り上がったとうれしそうに話していました。
食べることが何より好きだった渡辺さんですからね……。ずっと食事制限してきたわけですけど、郁恵さんも、そろそろ悔いのないようにさせてあげたいと思ったんじゃないでしょうか」(前出・夫婦を知る人)
夫の死後も、残された妻の闘いは続く。
「郁恵さんは渡辺さんだけでなく、同居するお母さんの面倒も見ていました。高齢のお母さんを、郁恵さんが運転して病院に連れていくこともあったようです。もともと、お母さんは神奈川県の厚木に住んでいましたが、呼び寄せる形で同居することになった。郁恵さんは、折を見てお母さんの思い出の場所である厚木に連れていっているそうです」(別の芸能関係者)
榊原は渡辺さんの両親にも実の親のように接していた。結婚して間もない頃から夫婦で毎月の仕送りをし、旅行に連れていくことも頻繁だった。
「渡辺さんは一人っ子で、よく郁恵さんと一緒に両親の住む北関東を訪れていました。嫁姑仲も良好で、郁恵さんは料理上手なお義母さんを慕っていた。お義母さんはもう他界されていますが、お義父さんは健在。いまは施設に入っていて、郁恵さんはお義父さんのことをとても気にかけていました。ゆくゆくは“夫の代わりに自分が責任を持って”とも考えていたと思います」(前出・別の芸能関係者)
“多重介護”ともいえる状況を続けてきた榊原だが、決してひとりではない。
「葬儀では2人の息子さんたちが、郁恵さんを支えていました。通夜の後は、祭壇を前に笑顔で集合写真を撮ったそうです。渡辺さんが亡くなった後も、実母、義父とも“ひとつの家族”として暮らしていくのでしょう」(前出・別の芸能関係者)
渡辺さんが残した家族の絆は強い。
※女性セブン2023年1月1日号