表参道交差点(東京)
東京都心にも歴史の暗部は残されている。高級ブランドショップが建ち並ぶおしゃれな街、東京・青山。表参道交差点近くに建つ複合文化施設・スパイラルの入口には、幕末の蘭学医・高野長英の最後の地を示す碑が埋め込まれている。
「江戸で町医者をしていた長英は、著書『夢物語』が幕府の対外政策を批判したとして捕らえられ、永牢(事実上の無期懲役)を言い渡されてしまいます。いわゆる蛮社の獄ですね。小伝馬町牢屋敷で過ごしていたのですが、火災に乗じて脱獄。地方へ逃げ潜伏していましたが、顔を硝酸で焼き、人相を変えて江戸へ戻ってきました」
そのとき隠れていたのが青山の地。鉄砲百人組(鉄砲隊)の与力・同心(下級役人)の住居で、長英は青山百人町の同心組屋敷、小島助次郎の借家で名を変え開業していたが、ついにバレて役人に隠れ家を襲われる。長英は脇差で喉をついて自害。わずか47歳、波乱の生涯だった。
千日前(大阪)
なんばグランド花月や飲食店が建ち並ぶ大阪屈指の繁華街・千日前は、江戸時代は下難波村と呼ばれ、焼き場と刑場を併設した大阪随一のうら寂しい墓所だったという。
「1615年の大坂夏の陣の後、大阪城主・松平忠明が焦土と化した市中を整備するため、墓地をこの地に移転し統合したのが始まりです。現在のような繁華街へと変わっていったのは明治維新後。1870年に刑場が廃止され、墓地と火葬場は阿倍野に移転しました。ただ、首洗い井戸や、火葬で出た灰が積み上げられた灰山が残る土地は、なかなか買い手がつかなかったそうです」
結局、千日前歓楽街の祖といわれる奥田弁次郎・ふみ夫妻が土地を購入。見世物小屋などを出し始めた。1885年、南海電気鉄道・難波駅が開業すると一気に発展。1912年のミナミの大火で焼け野原になるが、2年後には総合娯楽場・千日前楽天地が完成。この跡地は大阪歌舞伎座、千日デパートを経て、現在はビックカメラなんば店になっている。