来年デビュー40周年を迎えるバブルガム・ブラザーズ。「ヤンチャなイメージを出して良かったことも悪かったこともあります」と、ブラザー・コーンさんは振り返る。高円寺で生まれ育った少年時代から芸能人生で陥ったどん底まで、そして67歳にしてプロボウラーを目指すコーンさんの“人生ショー”に迫った。【全3回の第3回。第1回から読む】
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実は中学時代の同級生には佐野元春がいるんです。一緒にキャッチボールをやったり、僕とあと2人の4人でフォークグループを作り、いつもそのうちの1人の家に集まってギターを一緒に弾きながらPPM(ピーター・ポール&マリー)とかアメリカのフォークグループの歌を歌っていました。
別々の高校に進んだから、その後、あの佐野クンがデビューしたとは知らず、「オレの同級生とそっくり」なんて言っていたんです。あるとき、彼の実家に電話してみたら、たまたま佐野クンが出て「おー、コーンちゃん! そう、あれ僕なんだよ。コーンちゃんのことも見てるよ」って(笑)。オレはオレで、日本大学に籍を置きながら、“あのねのね”の清水国明さんに弟子入りしてテレビに出ていましたから。
芸能界に長くいると、いろんな出会いがあります。とんねるずとは、彼らがまだ素人のときに新宿の飲み屋で会って知り合いになりました。(木梨)憲武が4年前に出した本『木梨憲武って!?』(ベストセラーズ)に「コーンちゃんがいなかったら僕はこの世界にいなかったかもしれない」って書いてくれていましたけど、僕がオーディション番組「お笑いスター誕生!!」の日本テレビのプロデューサーを紹介したんです。
そうしたら、彼らはあれよあれよと10週勝ち抜いて人気者になっちゃって、実力があったんだと思います。ほかにも、(藤井)フミヤとかヒロミもみんな毎年、僕のバースデーライブに顔を出してくれるんですよ。本当にいい仲間です。