1976年に「ゴダイゴ」のヴォーカルとしてデビューしたタケカワユキヒデさん
「『銀河鉄道999』がヒットして数年経った頃、松本先生はクラシック音楽の交響曲の第二楽章(ゆっくりで重厚な暗い曲が多い)がお好きだと関係者から聞いて、『僕はやけに明るい曲を作ってしまい、よかったんだろうか。松本先生にお会いしたら謝りたい』と、ずっと気になっていました。
1990年代半ばにその思いを新聞に書いたら、数カ月後に記念パーティーで松本先生と初めてお会いする機会がありました。その席で松本先生にご挨拶に伺ったら『あの曲はよかった』と言ってくださって、『僕はミュージシャンはマジシャンだと思っています』という最高の誉め言葉をいただけました。この言葉は先生の作品に携わったすべての音楽家に向けたものだと思います」
タケカワさんの手掛けた『銀河鉄道999(The Galaxy Express999)』は2000年、毛利衛宇宙飛行士のウェイクアップミュージックとして宇宙に渡った。2009年には松本さんの地元である西武池袋線・大泉学園駅、2016年からは故郷へと繋がるJR山陽新幹線(新神戸駅、岡山駅、広島駅、小倉駅、博多駅)の発車メロディーとなった。
「もう44年前の曲ですけど、これだけ長い間ずっと聴いていただけるというのは、考えてもいなかったです。大事にしてもらって、ありがたいことだと思っています。大泉学園駅のセレモニーで先生とお会いしたのも忘れられない思い出です」
松本さんとの思い出話になると、タケカワさんは、笑みを浮かべながら、振り返った。
「僕は松本先生の『男おいどん』(※四畳半の老朽下宿で極貧生活を送る主人公の青春群像を描いた漫画)を読んで育っているので、その通りの苦労した時代のお話を聞かせていただきました。漫画で主人公が履いたあとのパンツを何枚も押し入れに投げ込んでおいたら、後日、押し入れの中に大量のサルマタケ(漫画に登場する架空のキノコ)が生えたというのがあるんですけど、先生に聞いたら実話だったと。そして、『これは食えるんだろうか』と考えて、試しに漫画家の友人に食べさせたら、食べられたそうです(笑)。まさか漫画の通りの生活をされていたとは思いませんでした(笑)」
松本さんは2019年11月、イタリア訪問中に体調を崩して病院に搬送された。回復して帰国すると、日本ではコロナ禍に。タケカワさんが最後に松本さん会ったのは2021年2月に行われた『銀河鉄道999シネマ・コンサート』だったという。
「カーテンコールのときに舞台袖にいらっしゃった松本先生に『お加減はいかがですか』と、ご挨拶をしたのが最後でした。お元気でしたので、驚いています。ずっと精力的な先生でしたから、長い間、本当にお疲れさまでしたと言いたいです」