サンソンは貴族と同じ身分を与えられ、日々、人の首を刎ねる。それと同時に腕がいい医師としても知られており、貧しい人々に医療を施している。誇り高くありながら、忌むべき職業だと後ろ指をさされ、偏見と戦う。誰になんと言われようと、パリの秩序を守る番人としての揺るぎない誇りを持っている。
当時の死刑は大衆の娯楽でもあった。サンソンはスターでもあり、大衆の期待に応えなくてはならないのだ。大衆はスターに輝きと不幸を同時に求める。優美で孤高なサンソンの姿は、スターとして不動の存在であり続けてきた稲垣とどこかシンクロしているようにも感じた。
稲垣はオーラにあふれながらも、彼の持ち味である共演者の魅力を引き出すような演技により、登場人物に人間味を持たせる。まず魅了されるのは、ルイ16世に謁見したシーンだろう。神のような存在の国王と対峙しているふるえる喜び、しかしあくまでも冷静に国王からかけられた言葉をかみしめるように味わうサンソン。
稲垣は「この作品でのサンソンとルイ16世はいろいろな意味でのラブストーリー。稽古中もここはいちゃいちゃしていました」と語っていた。フランス国王・ルイ16世を演じる大鶴佐助は故・蜷川幸雄さんの演出作品で舞台デビューした実力派だ。サンソンと国王との間に愛さえも芽生えているのではないかと感じるほど、親密な空気感が作り出されている。
でも、私たちはサンソンが国王の首を刎ねるという史実を知っている。だからこそ、「ここまで国王を敬愛しているのだから、斬首は避けられないのか」とサンソンと同じように切望してしまう。
民衆の暴動がやがて、革命となる大きな歴史のうねり・・・・・・。作品には他にも、マリー・アントワネット、デュバリー夫人といった貴族、ロベスピエール、ナポレオン、サン=ジュストなど、“おなじみの”歴史上の人物が登場する。
加えて、歴史の裏舞台にいた、ギロチンを開発するチェンバロ職人のトビアス、蹄鉄工の息子であるジャン、といった人々や、多くのパリ市民たちが登場する。トビアスを演じる崎山つばさは、2.5次元舞台からテレビドラマや映画へも活躍の場を広げている注目の若手俳優だ。軽やかで華やかな存在感で、威厳と深みあるサンソンとの対比が鮮やかだった。それゆえに、彼がやがてお金のために仕事をするようになる人間の業もどこか普遍的で自分を重ねて考えてしまう。
舞台上でいきいきと躍動する、時代を超えた登場人物たち。その誰に対しても、幸せになってほしいと願ってしまう。それぞれの事情を抱え葛藤しながら生きていく人間味が引き出され、悪役が悪役ではなくなるのだ。
稲垣らによって表現される人間らしさ、人としての強さから、私たちが葛藤の末に求めているのは、愛する人との穏やかな生活なのだと気づかせてくれる。
『サンソン』はフランス革命という重苦しい時代、死という重いテーマを扱っているのに、どこかショーを見ているかのように引き込まれてしまうのだ。
激動の時代に生きたサンソンは、自由・平等・博愛の心を持ちながら、もっと深い、人間らしい部分で、見えない壁と戦っている。しかし、フランス革命から300年近い時を経ても、戦争や内乱は存在し、狂気的なリーダーに熱狂する大衆は存在する。ただ、その流れを変えようと、戦う人はおり、そのほとんどが歴史に名を残さない。
フランス革命期の舞台は、現代の日本社会と重なるような気がしてきた。いつの間にか見えない格差や越えられない壁の前が立ちはだかっていて、困惑することも増えた。貧富、都市と地域、学歴、職業……人間の本質とは関係がないところで、社会の分断が進んでいく恐ろしさを、多くの人が感じている時代だ。今回の『サンソン』は「再始動」と稲垣も語っていたが、2021年の上演時よりも、さらに説得力を増しているのではないだろうか。
夢のように豪華絢爛でもあるエンターテインメント作品でありながら、さまざまな気づきを与えてくれる。それはきっと、今の時代を生きる私たちの血肉になるだろう。
取材・文/沢木文 撮影/引地信彦