この間、ドイツでは近代工業が発展していた。産業革命以後軍艦にしても工業製品にしてもイギリス製が最良であり、その輸出が植民地経営と並んでイギリスの財源となっていた。日本でも機関車や軍艦はイギリス製を輸入し膨大な外貨を払っていたが、ドイツの発展はイギリスに警戒心を抱かせた。このままドイツの近代工業が発展すれば、工業製品の輸出で世界一であったイギリスの地位が脅かされるということだ。
それは単なる杞憂で無かったことは、のちの話だが第一次世界大戦の敗北でボロボロになったはずのドイツで、世界最初の大衆向け自動車フォルクスワーゲンが生まれ、人類史上初の「弾道ミサイル」V2ロケットが製造されたことでもわかるだろう。イギリスはドイツに対する警戒感を高めていった。
さらに、植民地政策における対立もあった。イギリスの世界戦略は3C政策と呼ばれていた。エジプトのカイロ(Cairo)、南アフリカのケープタウン(Capetown)、インドのカルカッタ(Calcutta。現コルカタ)の三都市の頭文字Cを取ったもので、この三都市を鉄道で結び強大な経済圏を確立する、というものだ。このケープタウンへのこだわりがボーア戦争の原因となりイギリスはつまずくことになるのだが、これに対抗するドイツの植民地政策が3B政策であった。
これはヴィルヘルム2世が主導したドイツのベルリン(Berlin)、そしてオスマン帝国のビザンティウム(Byzantium。現イスタンブール)とバグダッド(Baghdad)を鉄道で結び経済圏を確立する、というものだ。じつはこの政策、ヴィルヘルム2世時代には「3B政策」と呼ばれたことは無い。後世の人間が作った言葉だが、イギリスとドイツの植民地政策が立体的に把握できるのでいまも使われている。言うまでも無く、これはイギリスの植民地政策と深く対立するものだ。
ヴィルヘルム2世は、発展してきたドイツの近代工業力を背景に大海軍の建造をめざした。当時、世界一の海軍国と言えばイギリスであり、日露戦争でバルチック艦隊と旅順艦隊を失ったロシア帝国は世界的優位を失い、フランスがそのぶん失地を回復し、発展途上の海軍国はと言えばアメリカと日本であった。そこにドイツは食い込んでいこうとしたのである。
イギリスはさらにドイツに対する警戒心を高めた。そこで「敵の敵は味方」という感覚でフランスに接近し協商関係を結び、そのフランスを仲介とする形でロシアとも友好を深めた。もちろん極東ではライバル関係であったのだが、ヨーロッパにおいてはむしろ共通の敵ドイツに対して団結するという形を取ることになった。フランスを完全に封じ込めることによってドイツの安全を確保したと考えていたビスマルクにとっては、想定外の信じられない事態が実現してしまったのである。
こうした事情から鑑みて、イギリスはドイツ対フランス・ロシアの戦いに参戦する機会を虎視眈々と狙っていたと考えられる。参戦すればフランス・ロシアと共同でドイツを叩くことができるからである。そして、その機会はやってきた。ドイツが永世中立国ベルギー、そしてルクセンブルクに侵入してフランスを攻めたからである。ドイツはフランスと国境を接しているが、当然この国境地帯はフランスも警戒を怠っていない。
この国境地帯からパリへ向かうルートの途中には、フランス最大のヴェルダン要塞もある。しかしベルギーやルクセンブルクからのルートはそうでは無い。ドイツにしてみれば攻めやすいということだ。だからこそと言うべきか、この両国はさまざまな経緯があったが戦争を助長しない緩衝国としての地位が認められ、ベルギーは一八三九年のロンドン条約で、ルクセンブルクも一八六七年の第二次ロンドン条約で、ともに永世中立国となっていた。
日本人にとってベルギーはあまり馴染みのない国だが、産業革命がイギリスより早く起こったのはベルギーであり、非常に優秀な国民性を持つ国である。それもあって、ロンドン条約ではドイツもベルギーの中立を認めた。
しかし、いざ西にフランス、東にロシアという敵国に挟まれた形で戦争が始まってみると、ドイツにとっての最善策はまずフランスを全力で撃破し、返す刀でロシアと戦うことである。そうなれば一刻も早くフランスに進撃することが重要であり、ドイツ軍はベルギールートでフランスに侵入した。これはロンドン条約違反であるから、イギリスはほくそえんだ。参戦の口実ができたからだ。
そして、この事態に狂喜乱舞した国があった。大日本帝国である。
(第1390回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2023年8月18・25日号