優秀な政治家であるビスマルクは、フランス人の心情はよくわかっていた。そこで、有能な外交官でもあったビスマルクは最初は三帝同盟(共に帝国であり皇帝を戴くドイツ、ロシア、オーストリアがメンバー)、のちにはオーストリアやイタリアと三国同盟を結ぶなど、フランス封じ込めを目的とした「ビスマルク体制」を完成させた。

 ドイツ帝国にとって最大の不幸は、比較的若くして皇位についたヴィルヘルム2世が決して名君と呼べる人物では無かったことだ。ビスマルクを嫌ってクビにしたヴィルヘルム2世は外交家としても有能では無く、せっかくビスマルクが築いたフランス封じ込め体制を瓦解させてしまった。発端は、ビスマルク退任直後のことだ。ドイツはビスマルクが苦心して秘密裏にロシアと結んでいた独露再保障条約の更新を拒否してしまったのである。

 これはドイツかロシアのいずれかが戦争に突入した際に、お互い中立を守るというものだった。つまり、フランスがドイツに戦争を仕掛けてきてもロシアはフランスに味方しないという確約を取っていたのが、それを無効にしてしまったのである。

 なんともバカなことをしたものだ。どうしてそんな外交的愚挙を演じたのか、理由はまったくわからない。とにかく当時のドイツは、ビスマルクのやったことをなんでもかんでも否定するという空気になっていたのだろう。ロシアは帝政の国家であり、フランスは革命で王様の首をギロチンにかけた共和国だから、体制があまりにも違いすぎて両国が軍事同盟を結ぶはずが無い、という見通しもあったようだ。

 ひょっとしたら、すでに述べたようにドイツとロシアの皇帝はイトコ同士、という安心感もあったのかもしれない。ナポレオン・ボナパルトのとき、フランスとロシアは血で血を洗う戦争をしたという歴史的事実もこの安心感につながったのかもしれない。

 だが外交の世界では「昨日の敵は今日の友」であり、留意すべきは過去の歴史では無く現在の状況だ。それと、人間を大きく動かす心情の一つに復讐心があることを忘れてはいけない。憎しみの心はイデオロギーを超える。

 このときドイツに「軍事同盟」を拒否されたロシアは、フランスに接近した。フランスにしてみればロシアと組めば憎っくきドイツを挟み撃ちにできる。そこで大歓迎して、まず協商関係に入った。とりあえずは経済的に協調して助け合う、ということだ。もちろん、それは戦争になれば容易に軍事同盟に発展する。つまり、ビスマルク体制はここで事実上崩壊したのである。

「3C」vs「3B」

 ビスマルクがいくら優秀だとは言え、しょせんは人間である。神ならぬ身の人間には想定外の事態もある。それは、このフランスとロシアの「同盟」にイギリスまでもが参加したことであった。そもそもビスマルクの時代、『逆説の日本史 第二十五巻 明治風雲編』で詳しく解説したように、大英帝国イギリスは「栄光ある孤立」政策を取っていた。帝国主義の最先端を切ったイギリスは「七つの海を支配する」「太陽の沈まぬ帝国」であり、他国と軍事同盟を結ぶ必要性を感じなかったからだ。

 だが、そのイギリスにとっての「ベトナム戦争」とも言うべき「ボーア戦争」の勃発が、この根本方針を変えた。この鎮圧に手を焼いたイギリスは極東まで手が回らなくなり、日英同盟を結んで日本をイギリスの極東における代理人とした。日本はその方針転換のおかげで日露戦争に勝つことができたが、方針あるいは原則というものは一度見直してしまえばすぐに崩れるものである。

 この日英同盟によってイギリスは「他国と軍事同盟を結ぶ普通の列強」に転換した。ということは、場合によってはナポレオン1世の時代には最大の敵国だったフランス、中国の領土獲得における最大のライバルであったロシアとの同盟の可能性すら出てきた。

 さすがのビスマルクも、そこまでは読めなかった。だから、ビスマルク体制においてイギリスの存在はほとんど無視されていた。イギリスは大国ではあるがロシアやフランスと結ぶ危険性は少なく、ドイツの安全にとって脅威では無いという認識だったのだ。

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