〈それは、言わば「昭和の残骸」である〉とあるが、京都では祇園での飲み方を教授が学生に伝授し、厳しい研究生活を芸妓達の〈はんなりエール〉に支えられた元学生も少なくない。そうした面々が御年70代の元芸妓のために30年来開催するのが「たまひで杯」で、全6チームが総当たり制で戦い、勝者には〈ほっぺにたまひでのままのちゅう〉が与えられるのだという。
そしてこのどうでもいい大会に、焼肉をおごられた上に金も借りたままだった朽木は参加を強制され、チーム三福の9番ライトとして初戦に臨むことに。経験者の多聞が研究室やバイト先でかき集めたのは朝方まで酒場で働く茶髪の元投手から素人まで幅広く、とにかく9人揃わなかった時点で試合は負けなのだ。
「生者と死者が一緒にいる状況をどう小説的に表現しようかという時に、草野球で一番難しい人数合わせで綻びが出て、その辺におった人に助っ人を頼んだら、それが伝説の大投手やったらおもろいなあとか、そんな感じで話を作るんです。
そこは信長とか誰を登場させてもいいわけですけど、今回は8月だけに戦死した元球児とか、そういう人に出てほしかった。ただチームが強くなりすぎても主人公の出る幕がないので、学徒出陣のことも調べて、京大で戦没者の名簿を見た瞬間、あ、絶対これは書かないかんと思いました」
1の不思議を7か8に読んでくれる
まずは8月8日に晴れて1勝を挙げたチーム三福も、翌々日からは欠員が相次ぎ、朽木はたまたま敵チームの応援に来ていた同じゼミの中国人大学院生〈シャオさん〉を仲間に誘う。
聞けば小学生の時に初めて北京五輪で野球を観戦し、観客の〈オリコンダレエ〉というダミ声が初めて覚えた日本語だという彼女は現在プロスポーツの歴史を研究中らしく、某老舗人気店のキノコあさりパスタとケーキをおごるのを条件に頼みを快諾。さらにこのゼミ一の〈烈女〉が通りすがりの工員〈えーちゃん〉に声をかけ、試合を追うごと助っ人は増えていった。
「戦地に散った若者を僕は『可哀想な被害者』としては書きたくなくて、感傷の類は極力排したつもりです。もちろん100人いれば100通り、戦争に関する考え方は違って当然だし、シャオさんを中国人にしたのも攻める側と攻められる側で、視点は2つあるから。
でもそうやって主義主張が割れ、分断が進む手前に、みんなが『うん』と言える一線もあると思うんですね。僕はそこを狙いたいというか、学徒出陣した人の死に意味付けはしない。そして『野球、やりたかったやろなあ』で止める。そういうイデオロギーとかで互いを排除し合う前の、みんなが同じように思い合える線を、大事にしたかったんです」