自宅にほど近い場所に現れた(2021年11月下旬)
当初は圧倒的に投手としての評価が高かった大谷だが、この時期に打撃力を大幅にアップさせる。
「大谷選手は二刀流を掲げて日本でプロ入りした当時から、メジャーでのプレーを目指してきました。ただ、当初はアメリカに行くなら投手だと本人も考えていたようです。それがいまやメジャーの本塁打王争いをする打者に成長しています。最近では、佐々木監督と食事をしても打撃に関する質問の方が多いそうです」(スポーツジャーナリスト)
二刀流の道を切り開くうえでは、まさに“けがの功名”だった。また、渡米後は二刀流に懐疑的な声もある中、右肘の故障も経験する。
「大谷選手も相当悩んだようですが、高確率でいまよりもスケールアップできると判断し手術に踏み切ったそうです。これもけがと向き合い、実力を磨いた高校時代の経験が生きているのでしょう」(前出・スポーツジャーナリスト)
逆境に遭遇しても努力を重ねとことん野球を楽しむ姿勢はアメリカでも尊敬を集める。
「ご両親の育て方がよかったんでしょうね。高校入学時から、負けず嫌いだけどおちゃめな性格で、人間的にも優れていた。それが挫折を経験し、さらに精神的に成長した。佐々木監督もかつて『注目される選手になってからも常に謙虚で、彼がふてくされた態度を取るのを見たことがない』と話していました。
プロ入り後も高校時代の仲間を大切にし、日本ハム時代には電車を乗り継いで、同級生の下宿先に集まり、ほかのメンバーらと6畳一間で一夜を明かすこともあったそうです」(前出・学校関係者)
どんなにチーム状況が厳しく、経験の浅い選手がミスを重ねても、大谷がグラウンドで不満を態度に表すことはない。それは高校時代の挫折から培った人間力の賜だろう。恩師が「早熟する必要はない」と言って育んだ才能は甲子園での挫折を経て、「史上最高の選手」として花開いている。
※女性セブン2023年9月7日号