権利を強く主張する人たちに詰め寄られるのが怖い(イメージ)
以前なら、こうした男性客達は注意を受ければ退散するか、水着の上にタオルをまくなどしてくれていたが、最近は違う傾向があるという。
「どんな水着を着ようと自由だし、権利だと仰います。セクハラですと指摘しても、それは個人の自由だとか、LGBTQの話を持ち出して、人権感覚が遅れているとまで言われる。みんなが自分勝手な自由を主張し、まわりに迷惑をかけているようにしか思えません。でも、権利だとか自由と言われると、もはや私たちもわからないし、権利を強く主張する人たちに詰め寄られるのが何よりも恐ろしくて、閉口するしかないんですよ」(宮崎さん)
人々が持つ自由、そして権利の尊さは言うまでも無い。だが、その自由には他人を不愉快にさせたり傷をつけることまでは当然含まれないし、また、権利を持っていても、他人の権利を侵してまで自分の権利を強引に優先させることも、社会においては許されていない。その権利を行使したいのであれば、公営プールではない場所で、そういった目的の同好の友と楽しめば良いだけ。その言動を不快に思う人たちがいることが簡単に想定できるのに、それでも権利を主張し続けるのは、もはや嫌がらせだ。
同様のトラブルが続けば、もはや個人の自由や権利が制限される未来がやってくることは誰の目にも明らかだ。自由や権利と言った言葉が乱用され、すでに言葉の持つ意味が薄れていってしまっているようにすら思えるのだ。