芸能界で成功できた理由は割り切りと独学の演技
芸能活動は、ボクサーとして現役の世界チャンピオンだったときに始めたんだ。憧れだった高倉健さん、菅原文太さんと『神戸国際ギャング』(1975年公開)って東映映画で共演してね。健さんや文太さんは違ったけど、撮影所には「世界チャンピオンだからって何ができるんだ」ってバカにする人もいたし、こっちが「こんにちは」と挨拶しても横向いて知らんぷりするのもいたよ。
テレビの世界もそうだった。チャンピオンのときに『金曜10時! うわさのチャンネル!!』(日本テレビ系)っていう当時、人気のあったバラエティ番組に出てたんだけど、ハリセンで頭殴られたり、食堂でドッキリをしかけられたりした。こっちは世界チャンピオンだ、ってプライドもあったけど、ボクシング界と芸能界は違う世界。お邪魔してる立場だから、と割り切った。
いちいち気にしてたら仕事にならないし、そういう番組だとわかって納得して出演してたから、それで怒っていたら「なんで出演したの?」ってなっちゃう。それが常識だとわきまえていたから、結果的に芸能界にも受け入れられたんじゃないかな。芸能界でも成功できたのは、そうやって頭を切り替えられたからだと、今振り返ると思うよ。
でも、芸能界でも世界のトップにいる人は違うと思ったね。スティーブン・スピルバーグ監督の映画『太陽の帝国』(1988年公開)に日本兵役で出演したんだけど、スピちゃんの方からオーディションを受けるよう声がかかった。私が元世界チャンピオンだから注目してたんだね。撮影のときは「一緒に写真を撮りたい」と向こうから求めてきた。スピちゃんはきちんと姿勢を正して写真におさまったよ。世界チャンピオンに対するリスペクトがあるんだ。
1989年の米国映画『ブラック・レイン』にヤクザの子分役で出演したときも、主演のマイケル・ダグラスらが「一緒に写真を撮ろう」って言ってきたしさ。この映画では(高倉)健さんと再共演もしたし、松田優作とも共演した。
演技を学んだのは独学。ボクシングもそうだったから。自分で研究してやるから、それが持ち味になって戦えた。演技も同じ。みんな一緒じゃダメ、いつも同じじゃダメ。セリフはもちろん覚えて現場に入る。映画の撮影現場で台本を見てる人なんかいなかったから。それがプロなんだよ。