男気あふれるふんどし姿
18歳で生みの母を知りなぜか滂沱の涙
転機が訪れたのは伊吹さんが高校を卒業し、東京の国士舘大学へ進学するとき。上京の途中で生みの母・百里さんの暮らす青森へ寄り、対面することになったのだ。
「親族会議で『一度、会っておいたほうがいいだろう』という話になったようでした。そう聞かされると、僕も興味が湧いてきて『どういう人なのかなあ。会ってみたいな』と思いました。それまでは会いたい、と思ったこともなかったのですが。
育ての母親と青函連絡船で青森へ渡ったら、船着き場で母親と母方の祖父が待っていて、すぐに『あの人がお母さんだな』とわかりました。僕の顔とよく似ていたんです。
港からバスに乗って、母方の実家の五所川原へ向かったのですが、母は僕の洋服の裾をつかんで、2人がけの席に並んで座ろうするんですよ。僕は照れくさくて母の顔を見られなくて、何を話したらいいかもわからない。その日は雨で、窓側に座った僕は母に背を向け、バスのガラス窓を雨粒が伝って流れ落ちるのを、ただずっと眺めていました。
母の実家に着き、バッグに入れて持参した僕の幼い頃の写真を見せると、母があれこれ欲しがって何枚か選んでいました。夜は生みの母と育ての母のあいだに並んで寝ましてね。育ての母はいびきをかいて寝ているのに、生みの母は『置いていきたくて置いていったわけじゃない』などと言いながら、ずっと泣いていました。何というか……複雑な気持ちでしたね」
母の辛く悲しい思いを初めて知り、父方の実家でのびのび育った伊吹さんには戸惑いもあったのだ。
「でも、ちゃんと会って良かった。育ての母は男勝りでしっかり者でしたが、生みの母は正反対の静かでおとなしい人でした。僕の中には生みの母に似た面もあり、生みの母がどんな人か知ることができて、やはり腑に落ちる、というかね。姉も僕によく似ていましたし。ああ、血が繋がっているんだな、と感じました。
翌日、僕と叔母は汽車に乗って東京へ向かったのですが、駅へ見送りにきた姉はずっとうつむいていました。出発のベルが鳴ると、僕も急に胸をしめつけられて涙がバーッと流れてきてね。見られるのが恥ずかしくて、汽車の中の洗面台へ駆けて行って顔をジャブジャブ洗ったのを覚えています」
なぜ涙が出たのか。理由はわからないが、そのときの切ない気持ちは、今も鮮明に記憶に残っているという。