藤井さんがデビュー29連勝の記録を打ち立てた後、僕は竜王の就位式の様子を撮影した。当時の竜王だった羽生さんが壇上でスピーチを始めたとき、竜王戦6組ランキング戦で優勝を飾った藤井さんが、じっと羽生さんの姿を見据えていたのが印象的だった。
連綿と続く板谷一門の歴史は、藤井さんの活躍によって光が当てられた。わずかながらもその系譜の一端に触れた当事者として、藤井聡太「全冠制覇」の偉業を期待したい。
藤井聡太は「時代を映す鏡」
藤井さんの活躍を見ていつも思うのは、将棋の強さもさることながら、取材に対する受け答えや立ち振る舞いの完成度だ。使う言葉にも教養が感じられ、将棋同様にまったく隙のないコメントが繰り出される。
中学生でプロ棋士になった藤井さんは、師匠の杉本さんからいろいろなアドバイスを受けてきたとは思うが、それでもスター棋士としての帝王学のすべてを学ぶような時間はなかったと思う。普通の若者であればどこか未熟な部分が露呈したり、至らない部分が目についたりするところだが、藤井さんにはほとんどそうした点が見受けられない。これはかなり凄いことだと僕は思っている。
古い話になるが、森下卓・九段が1983年に新四段として17歳でデビューしたとき、僕はとても驚いた。礼儀正しく、周囲に対する気遣いがあり、言葉遣いは丁寧で、しかも将棋は強い。思わず「僕の息子もこんな風に育ってくれたらいいのになあ」と羨ましく思った。
その頃から、棋士を目指し、実際に四段に上がる棋士のイメージがずいぶん変わってきた。学歴もなく、将棋しか取り柄がないような無頼派の勝負師は急激に少なくなり、ある程度裕福な家庭で育ち、優秀な高校、大学に進学していてもおかしくないタイプの棋士が増えた。
若手時代の佐藤康光・九段(将棋連盟前会長)を撮ったときにも驚いた。1億手を読むと呼ばれた天才でありながら、趣味のバイオリンを持たせると、まるで音楽家の顔だ。昔は自宅にピアノがあるような家庭から将棋指しは誕生しなかったと思うが、時代は変わったとつくづく感じた。
優等生のエリート棋士を否定しているわけではない。どのようなタイプが棋士のスタンダードになるか、それもまた時代を映す鏡であって、「飲む・打つ・買う」を地で行くような棋士が勝てない時代に移り変わったということだろう。その意味で言えば、藤井さんは時代の形をしっかりと反映した、令和にふさわしいスター棋士であると思う。