子供の頃のことも語った小日向
父親の大きな愛に包まれて
自身を「魂が幼い」と評したこと(前編を参照)が気になって、子供の頃のことを聞いてみた。
「通知表には『落ち着きがない』と書かれていましたね。とにかく小学生の頃までは無邪気でした。
父は、兄や姉には厳しかったですが、ぼくのことは『ふんちゃん、ふんちゃん』とかわいがってくれました。学校から帰ると、ぼくの足を拭いてくれてね(笑い)。両親からは一度も勉強しろと言われたことがなかったので、全然勉強しなかった」
小日向は北海道中部の三笠市に生まれ、公務員の父と母のもと、7才上の兄と4才上の姉の末っ子として育った。父はもともと三重県の寺の僧侶で、戦後の食糧難で還俗し、母方の父(小日向の祖父)が町長をしていた三笠市に移ったという。
「高校時代は、もっぱら美術部の部室で絵を描いているか、麻雀に明け暮れていました。スポーツもダメだから女子からも相手にされない、いわゆる劣等生でしたね。
卒業後は美大に行きたかったんですが、担任から『勉強していないのに無理だ』と言われ、東京のデザイン専門学校に入りました」
都会生活を謳歌したのも束の間、18才のときスキーによる複雑骨折をしてしまい、骨盤や大腿部の筋を移植するなど2年間入退院を繰り返した。
「こんなにつらい経験をしたんだから、とことん自分の好きなことをやろうと思い、『デザインをやめて写真をやる』と父に告げると、『いいよ、やりなさい』と言ってくれた。
その後、写真学校を卒業したものの、『写真は何か違うな……もし神様が何でもいいからやらせてあげると言ったら、正直何がやりたい?』と自問自答したんです。結果、出てきたのが俳優。父に『俳優を目指す』と伝えたときも、まったく反対されませんでしたね」
22才で俳優を目指し、松田優作さん(享年40)、中村雅俊(72才)らが活躍していた文学座に応募するも落選。アルバイト先のつてで中村の付き人を務めた後、オンシアター自由劇場に入団した。
「父はぼくに一切プレッシャーをかけませんでしたが、高校の担任からは『そうやってコロコロと変え続けるのか、一生の道を決めるのか、どちらかしかないんだぞ』と言われたんです。
役者をやると決めたとき、『ここでやめてしまったら、担任に言われたとおり、人生を延々と流転する根無し草になってしまう』と、食えなくても役者という仕事にしがみつきました。
振り返れば、鬱屈とした高校時代に、自己顕示欲というか、自分を認識してもらいたいという思いが強く芽生えたのかもしれないなあ」
好きな言葉は「誠実」だという。
「父がいつも『誠実に生きなさい』と言っていました。人に迷惑をかけたくないというポリシーは、父のこの言葉が根底にあります。
父はまた、『平凡に生きるのがいちばん。でも、それは案外難しいよ』とも。若い頃は『平凡なんてつまらない』と思っていましたが、いまは、家で妻と過ごす日常がいちばん幸せです。そう考えると、父からの影響が結構大きいんですよね」
小日向の選択を一度も否定しなかった父の深い愛情を、かみしめるようにそう語った。