11月にはライブのステージでバックコーラスを務めた
父と同じ芸能界を目指すことに母は当初、猛反対した。「甘い世界じゃない」「大学には行きなさい」と諭され、慎之介さんは高校卒業後、大学に進学。だが、音楽への情熱の灯は消えなかった。
学業の傍ら養成所に通い、技量を磨き続けた慎之介さん。その本気度が母親にも伝わり、今夏、音楽の道に進むことを認めてくれたという。
「ぼくはずっと自分のことを話すのが苦手だったんです。口下手というか。でも、歌は自分の内面や感情を歌詞にのせるじゃないですか。歌を始めたことで、自分がどんどん変わっていったんです。感情を表に出せるようになった。母はそういう変化も見てくれていたんだと思います。そうと決まれば、家族に負担をかけたくないし、退路を断つという意味で、大学は中退しました」
慎之介さんにとって本気で歌と向き合う上で、父親の存在は避けて通れなかった。
「邦楽も洋楽も昔のものを好んで聴いているんですが、父がカバーしていることも多くて、聴いてみて驚きました。ピッチは絶対に外さないし、何より歌唱力が圧倒的。そこから父の曲をすべて研究し、『夜のヒットスタジオ』などの出演番組も全部見ました。好きな曲もどんどん増えて、『薔薇の鎖』や『ブルースカイ ブルー』は名曲中の名曲ですね。
だからいま、本気で後悔しています。もしタイムマシンで過去に戻れるなら、ずっと父のそばにいて歌を教えてもらいますよ。病気で亡くなる前に、もっと父からいっぱい教えてもらいたかった……。いまは毎日、父の仏壇に向かって、“上手に歌えるようにしてください”と手を合わせています」
歌だけでなく西城さんのすべてを感じたくなった慎之介さんは、インタビューに応じたこの日、特別な“勝負服”を着ていた。
「このレザーのジャケットとパンツは父の“おさがり”なんです。八王子のイベントでもそうでしたが、最近は大事な場所に行くときは、父の服を着ると決めています。ぼくの方が身長が7cmほど低いので、かなりオーバーサイズですけどね」
発売中の『女性セブン』では、西城さんが倒れた日のこと、サッカーの強豪高校でプロを目指した高校時代、“七光り批判”などについて語った慎之介さんのインタビューを紹介している。