「二番煎じの改革」を論じている政治刷新本部(時事通信フォト)
深谷氏は1972年総選挙で初当選。自民党では河野一郎派を皮切りに、その流れを汲む中曽根派、渡辺派、山崎派に所属し、山崎派では会長に次ぐ顧問として派を支えた。2012年に引退。派閥政治の裏表を熟知する政治家だ。
「昔は派閥からのキックバックなんて考えられなかったね。自民党の派閥は、会長を総理総裁にする目的で集まった。派閥の会長は、天下を取るために大勢の議員を集めなければならない。当時は今のように政治献金の規制が厳しくなかったから、派閥の会長は多額の献金を集める力を持っていて、会長と有力な幹部たちが資金を集めて若手の資金の面倒を見た。
だが、規制が厳しくなると、やむなくパーティーを開くようになった。
山崎派時代は顧問という会長に次ぐ立場で派閥の資金を支えた。1枚2万円の派閥パーティーのチケットを500枚くらい引き受け、それとは別に自分でもパーティーを開いて、毎年2000万円くらい派閥に納めていた。それでも、その頃は、パーティーでは2万円の会費にふさわしい料理や酒を出せ、少なくとも、会が終わった時に食べ切れずに料理が残るくらいにしろ、と指示していた。支援者に喜んでもらうことで地盤が固まる。それがだんだん利益優先になり、今では飲食なしで2万円を取るパーティーも多い。これでは支持の拡大など望めない単なる金集めです。
そのうえ、派閥のメンバー全員にパーティー券を売らせるようになり、ノルマを超えた分をキックバックするみたいなことが始まった。ノルマ以上に売った分をコソコソ自分のものにする“中抜き”とかみみっちいことが横行しているという。本当に政治家が小さくなったなと」
刷新本部は「議論のすり替え」
岸田首相は岸田派の解散を検討し、「政治刷新本部」でも、政治資金規正法の改正や派閥解消の議論が出ている。深谷氏は、それは問題のすり替えだと指摘する。
「リクルート事件の後、政治改革の基本ができた。規制も強化した。しかし、それが平気で破られるのは政治家の劣化が原因だと思う。決められた制度、法律を守れていないのはなぜかを反省し、謝罪するのが先でしょう。二番煎じの改革議論で問題をすり替えるべきではない。
派閥解消論も出ているが、そもそも派閥の役割は、トップが多くの議員の意見を聞いて、政策を議論し、天下取りを目指すことにある。若手議員にとっても、自分の政策を直接国政に反映するのは難しいから、政策集団の中で提案することで国会に出してもらうわけです。それは悪いことではない。決してキックバックするための組織ではなかった。それが金を集めるための集団となっているという悪循環を断ち切らないといけない」