尾身茂氏は感染症対策の発信を積極的に担った
奔流のなかでもがいた「専門家の葛藤」の軌跡
尾身氏はこの第1期において、〈感染が広がれば、医療や検査がパンクする可能性があるのに、専門家として何も言わなければ、歴史の審判に耐えられないのではないか。そんなやむにやまれぬ思いから出た行動でした〉と振り返っている(『奔流』、51~52ページ)。
“8割おじさん”こと京都大学教授の西浦博氏も、第1期の頃に〈本音を言えば、感染症の流行が起こっているなかで決定権限なんて何もないのに責任を問われる。厚労省の中にいていいことなんてほとんどないんです。ただ、(中略)みすみす流行が広がるのを黙って見ているわけにはいかなかった〉と語った(同、24ページ)。
この第1期は、政治家や厚労省が積極的な発信を躊躇するなかで、専門家が前に出ざるを得なかった時期だとも言える。広野氏はこう指摘する。
「コロナ禍の日本では、政治家が国民の反発を受けるような政策決定をできなかった。そのなかで感染症の専門家たちが、私権制限をせずに感染流行を抑えるというバランスを取った方法を立案し、第5波が終わった2021年11月頃からは出口戦略を見据えて議論を始めていました。
2022年5月に立ち上がった『新型コロナウイルス感染症対応に関する有識者会議』(座長・永井良三自治医科大学学長)による検証を読むと、そうした専門家組織に対する疑義は呈しているが、肝心の政治家の判断に対しては疑問を呈していない。事実関係もきちんと検証されていない。本当に検証されるべきは何か、何が教訓になるのかということは、地方自治法の改正案を含む次のパンデミックを想定した制度設計を進める前に、立ち止まって考えるべきことではないでしょうか」
【プロフィール】
広野真嗣(ひろの・しんじ)/1975年、東京都生まれ。慶応義塾大法学部卒。神戸新聞記者、猪瀬直樹事務所スタッフを経て、2015年からフリーに。2017年、『消された信仰』(小学館文庫)で小学館ノンフィクション大賞受賞。近著に『奔流 コロナ「専門家」はなぜ消されたのか』(講談社)。