夫婦で警視庁を訪ね『ミンボーの女』(1992年)の取材をした(写真/共同通信社)
宮本信子が明かす「伊丹さんのプロデューサー的な感覚」
その挑戦は、リターンが必ずしも約束されないリスクの高い映画ビジネスにおいて、とんでもない博打だったはずだ。作品製作を間近で支えた女優で妻の宮本信子が証言する。
「映画監督をするようになってからは、ともかく『自分の好きなものにやっと巡り合った』と言っていました。本当に楽しくてしょうがなかったんだと思います。でも伊丹さんはしょっちゅう『映画で借金したり、家庭がめちゃくちゃになったりするようなことはしちゃいけない』とも話していましたね」
『お葬式』では製作費およそ1億円のうち、自分たちで3000万円ほどを工面した。撮影も湯河原の自宅で行なった。結果は配給収入12億円の大ヒットとなり、その資金を元手に、伊丹は1本、また1本とフィルモグラフィを積み重ねていく。
「自分たちのお金だから好きなようにしていいんですけど、足りなくなると困るでしょ。伊丹さんはプロデューサー的な感覚も持っていて。その当時は撮影が止まると、1日300万円ぐらい消えちゃうんです。撮影が止まったときも、伊丹さんは何かしら新しいアイデアを出して乗り切りました。これも自分で脚本を書いているからできること。そういうプロデューサーと現場監督のバランス感覚が優れていましたね。スタッフの皆さんも自分たちは『伊丹さんのお金で映画を作っているんだ』ということがわかっていたと思います」(同前)
映画監督としてもっとも大事な創作の自由を殺さないために、まず自分たちで自由に使える資金を用意する。人一倍こだわりの強い完璧主義だったからこそ、最初からそのことに気付いていたのが伊丹だったのかもしれない。
「やっぱり自分たちのお金で作ると人からは何も言われないんです。お金を出した方は必ず何かおっしゃるでしょう。言ってもいいんです、その権利があるから。でもそうするうちに、作品がどんどん削られて本当に作りたいものが見えなくなってくるんですよ」(同前)