1984年に全日本柔道連盟の審判員となり、1996年に「正木道場」を興す一方、55歳まで全国大会に出場し「柔道界の鉄人」と呼ばれた正木照夫氏(撮影/杉原照夫)
「誤審」がなくなる“代償”
拓殖大学柔道部時代の1969年に全日本学生選手権無差別級で優勝後、全日本選手権に10度出場。1984年に全日本柔道連盟の審判員となり、「正木道場」を興して指導者となった後も55歳まで大会に出場して選手生活を続け、「柔道界の鉄人」と呼ばれた正木照夫が言う。
「主審が“技あり”と宣告した瞬間、ジュリーはモニターでそれを確認する。そこで“技ありではない”と判断されると、主審は“取り消し”と申し訳なさそうに撤回する。
“一本”と判定したのにビデオで“技あり”に格下げされようものなら、仮に私が主審だったら屈辱以外の何ものでもありません。審判の威厳はどんどん失われていく。それどころか今の審判員たちは“判定が覆っても仕方ない”とさえ思うようになっている」
2023年4月、全日本選抜柔道体重別選手権女子63㎏級の準決勝で、異例の判定変更があった。立川桃が相手に右肘を巻き込まれながら倒され、そのまま腕ひしぎ十字固めで敗れた。
ところが決勝戦がなかなか始まらない。そして準決勝から1時間ほど経過してから場内放送で、「準決勝の判定に間違いがあり、勝者は立川さんとなりました。立川さんは試合会場にすぐ来てください」と館内放送が流れた。すでに私服姿だった立川は慌てて柔道着に着替え、畳に上がると立川の勝利が告げられた。
試合後に改めてビデオ判定した結果、相手選手が一発反則負けとなる「立ち姿勢からの脇固め」をかけていたと確認されたのだ。立川は決勝でも勝利し、大会初優勝を飾った。
「全日本体重別は五輪や世界選手権の代表選考に直結する重要な大会です。準決勝の主審は“モニターで見てくれているので”と話していたそうですが、審判の開き直りにも感じます。ビデオが最終判断してくれるという甘えが、どんどん判定ミスに繫がっていくのではないかと心配しています」