国際試合では「言語と国籍の壁」がある
正木が主審を務めた国際大会で、判定をめぐって意見が分かれたことがある。一方の選手が関節技で対戦相手に体を預けたため、「危険な技」として正木は試合を止めた。すると副審の一人が手を挙げたのだ(柔道のルールは度重なる変更がなされている。当時は主審と副審2人による判定だった)。
「副審の一人はフランス人、もう一人はアメリカ人だったと記憶しています。3人で“危険な技にあたるかどうか”で意見を交わしたのですが、2人とも母国語で話すので私の判定に賛成なのか反対なのかわからない(苦笑)。反則技の判断はとりわけ微妙なので、通訳を介せないのは大変でした。
試合は生中継されていたこともあって、私も戸惑う姿を見せられません。そこで副審を制したうえで、覚悟を決めて自信を持って反則負けを宣告しました。幸いにも両副審ともに納得した表情で頷いてくれました」
言葉の壁だけではなく、「国籍の壁」をめぐる騒動も体験した。
1995年の福岡国際女子柔道選手権48㎏級の決勝、田村亮子(現在は谷亮子)とサボン(キューバ)のカードで正木は主審を務めた。
「大会名は“福岡国際”ですが主催は全柔連だったため、審判員はほぼ全員日本人で、決勝の副審2人も日本人でした。ところがキューバ陣営から“日本人選手が出場する試合なのに、なぜ主審が日本人なのか”と抗議を受けたのです。“五輪や世界選手権ではないので外国人の審判員を招くことが難しく、日本人の審判をローテーションから外せば審判員の数が足りない”と説明し、了解されました」
だが、こうした指摘を踏まえて「試合に出場する選手と同じ国籍の審判は避けよう」ということになり、五輪では選手と同地域の審判まで外すようになった。
「選手や観客に“自国選手を有利にしている”という誤解を招かないためにやむ得ない措置だと思いますが、皮肉にもシドニー五輪の“世紀の誤審”のようなことを引き起こす原因にもなっている。特に男子の国際試合の審判員には、日本人に限らず“元トップ選手”が少ない現実があります。一方、女子の国際審判員は五輪のメダリストが多く、審判としての技術も高い。本来は男子の審判もそうあるべきだと思います」