1997年に行われた谷川浩司(左)と羽生善治の名人戦(時事通信フォト)
歩を突くだけでわかり合える
時代の覇者として将棋界全体の革新をも促す羽生と藤井。谷川の目には実績以外にも2人に通底するものが見えるという。
「30年近く前と今とではAIの登場もありますので棋士を取り巻く状況がかなり変わってはいますが、ともに将棋の真理を追究していく姿勢は通じていると思います。羽生さんも藤井さんも相手の得意戦法を避けない。これは私の推測ですけれども、相手の得意戦法を避けたほうが現実問題として勝つ可能性は高まるのですが、自分の得意な土俵ばかりで勝負していては新しい発見がない。逆に相手の得意な戦型で指せば、自分に新しく吸収するものがあると考えているのではないでしょうか。
同じ理由で印象に残っているのは羽生さんとの感想戦です。羽生さんといえども完璧ではないので、相手に自分の気づいていない手を指摘されることがあります。普通の棋士はそういう時、悔しそうな表情を見せるんですが、羽生さんは感心しながらすごく楽しそうにしている。また、感想戦でも派手な手が出ますし、こちらも楽しくなる。
藤井さんも似たようなところがあって、私が立会人を務めた叡王戦第二局、珍しく序盤で角換わりの最新型から少し変化したんです。これはあまり見られなかったことで幼い頃から何度も対局している伊藤さんが相手だから何かしらの気持ちの変化があったのかなと思いました。感想戦でも2人だけの世界といいますか、笑みを浮かべながら楽しそうでした。元々声が小さいのと、10手も20手も先のことを言っているので傍で見ていても何を喋ってるかわからなかったんですが(笑)。
将棋は2人でひとつの芸術作品を作り上げていく作業でもあるので、拮抗した実力の相手が現れることは望ましいと思いますし、やっぱり前例から離れ、中盤や終盤のねじり合いが続いて、最後に互いの玉が詰むか詰まないかの局面を時間のない中で読み切っていくのが棋士として一番充実した時間だと思います。藤井さんは伊藤さんとの対局で、それを味わえたのではないでしょうか」
棋は対話なり──。谷川は藤井と伊藤の対局の中にその萌芽を見てとった。それは全棋士の中で最も数多く対局している羽生と谷川の間にも存在したものだった。
「阿吽の呼吸という言葉がありますが、棋士も対局を重ねていくに従ってお互いにわかり合えてきます。私と羽生さんは一番多い時には年間20局以上対局したんですけれども、お互いに必ず何か新しいことを準備して臨んでいました。7六歩、3四歩と歩を突くだけなんですけれども、そこに込められた様々な準備や思いを読み取るんです。
対局数が100を超える頃にはもう『定跡も前例も少ない形で戦いましょう』という理解があって、タイトル戦のどこか一局は相振り飛車という形で戦うことが多かったです。お互い基本的には飛車を最初にある筋で使う居飛車党なので、飛車を振ることは少なかった。だから実戦例も少なく、他の棋士も研究していないので可能性や自由さがありました。まだAIもない時代だったので許されたことかもしれませんが」