MRI検査で左上半身に大量に発覚した西村修のがん
苦しい、もう止まってしまいたい
本当は、トイレに行くのもキツいほどに身体は重く、四六時中、薬の副作用の倦怠感や酩酊に支配されている。でも、青春時代のプロレスラーになる体づくりも、いつだって全身筋肉痛で立てなくなってからが、本当の練習だった。
「苦しい、もう止まってしまいたい。そう思った瞬間からの一歩」が、未来を切り開いてきたことを身をもって知る西村は、死と向き合う崖っぷちでも、迷いはない。
取材時も「昼ごはんを食べましょう」と、ニンニク山盛りのラーメンと炒飯、餃子をペロリ。一時、94キロまで落ちた体重も104キロと10キロも増量させた。
「抗がん剤のおかげで体の痛みは激減。左上半身のがんも7割が消滅。脳腫瘍治療のため止めた抗がん剤治療も、試合後からは第5クールから再開させます。9月には文京区議会にも出席します。疲れたらしっかり休むことも忘れませんが、日々の歩みは止めません」
5か月ぶりの試合復帰も、通過点と捉えている。
実際は、今回が“ただの通過点”なわけがない。戦うリングには、ロープ代わりに有刺鉄線と電流爆破が張り巡らされて、リング下に落ちれば地雷の大爆発が待ち受ける。対戦する大仁田厚と雷神矢口も、有刺鉄線ぐるぐる巻きのバッドで殴り掛かってくる。まさに“この世の地獄”だ。しかも、タッグパートナーは、西村の師匠で御年83才の米国人レジェンドレスラーのドリー・ファンク・ジュニア。要するに、戦場でのお年寄りのボディーガードというわけだ。
「この試合では、さすがに自分の身を案じる暇は無い。プロレス界の至宝のドリーさんを、文字通り命に代えても守らなきゃいけない。彼が日本で戦うのも人生最後。この役目だけは他の誰でもない。自分がやるしかないから出場するのです」
治療を託す国内屈指のがん専門病院の主治医には、「許可できるわけないけれど、もはや西村さんを止められない」と諦められたが、ほかの医師や看護師、担当トレーナーらと5人体制でリングサイドで見守ってもらえることになった。
「食道の裏の大動脈にべったり張り付くがんが、地雷や電流の衝撃で暴発したら、さすがにジ・エンド。即、大量吐血をしてあの世行きなので、病院には自己責任の念書を書かされました」と苦笑いしながら、実情を明かす。