ライフ

【書評】『ことばの番人』「校正」の奥深い世界を探求した高橋秀実氏の遺作 不完全なものへの「愛」がなければ「校正」はできない

『ことばの番人』/高橋秀実・著

『ことばの番人』/高橋秀実・著

【書評】『ことばの番人』/高橋秀実・著/集英社インターナショナル/1980円
【評者】与那原恵(ノンフィクション作家)

 悲しいことに、本書は高橋秀実さんの遺作となってしまった。一九九〇年代から同じ雑誌に寄稿していた仲だった。当時はお互い遅筆で編集者を泣かせたが、もっと良いものを書きたいとぎりぎりまで粘っていたゆえで、同志の存在が心強くもあったのだ。彼は独自の切り口によって相手の言葉を引き出し、洞察を重ね、深い知性と教養を背景にした的確な飛躍が思わぬ展開となっていき、文体も魅力的だった。

 本書は、おもには文章の誤りを正す「校正」の奥深い世界を探求していった。誤字脱字、事実関係、数字、固有名詞、語法、さらには引用部分の誤りなど、細部にわたり点検する「ことばの番人」がいてこそ、文章は世に出る。〈文章は私が書いたものではなく、彼らとの共同作品なのだ〉。

 けれど校正者の名は表に出ないし、校正した痕跡も完全に消されてしまう。日本最古の歴史書・文学書である『古事記』は、それ以前の文献の誤りを太安万侶が正した、つまり校正によって今日に伝えられ「歴史」になったのだ。

 昨今、校正者の不在が露わになっているのがネットの文章だ。第三者のチェックがないまま猛スピードで垂れ流し、誤字脱字の氾濫、罵詈雑言やデマが横行し、訂正もされない。その現状を著者は〈文化の衰退〉だと切に感じた。

 校正者は自分も含めたすべてを疑うという。言葉の変化も尊重し、ときには不正確も許容しつつ文字を追う。人は誤るものであり、不完全なものへの「愛」がなければ校正はできないのだろう。

 著者は多くの人に会い、古今東西の文献、辞書をひもとき、言葉や文字の根源に近づいてゆく。日本国憲法の誤植の背景、医薬品の包装表示、ChatGPT……。私たちの身体でもDNAのコピーミスを防ぐため、細胞レベルで校正されている。〈校正されているから「私たち」なのである〉。校正とはこれが正しいのかという疑い、問いを持つことに始まるが、それは高橋秀実のノンフィクション作品の根幹でもあった。

※週刊ポスト2025年2月14・21日号

関連記事

トピックス

中村芝翫の実家で、「別れた」はずのAさんの「誕生日会」が今年も開催された
「夜更けまで嬌声が…」中村芝翫、「別れた」愛人Aさんと“実家で誕生日パーティー”を開催…三田寛子をハラハラさせる「またくっついた疑惑」の実情
NEWSポストセブン
ロシアのプーチン大統領と面会した安倍昭恵夫人(時事通信/EPA=時事)
安倍昭恵夫人に「出馬待望論」が浮上するワケ 背景にある地元・山口と国政での「旧安倍派」の苦境
NEWSポストセブン
遠野なぎこ(本人のインスタグラムより)
《秘話》遠野なぎこさんの自宅に届いていた「たくさんのファンレター」元所属事務所の関係者はその光景に胸を痛め…45年の生涯を貫いた“信念”
週刊ポスト
政府備蓄米で作ったおにぎりを試食する江藤拓農林水産相(時事通信フォト)
《進次郎氏のほうが不評だった》江藤前農水相の地元で自民大敗の“本当の元凶”「小泉進次郎さんに比べたら、江藤さんの『コメ買ったことない』失言なんてかわいいもん」
週刊ポスト
出廷した水原被告(右は妻とともに住んでいたニューポートビーチの自宅)
水原一平の賭博スキャンダルを描くドラマが「実現間近」…大谷翔平サイドが恐れる「実名での映像化」、注目される「日本での公開可能性」
週刊ポスト
川崎、阿部、浅井、小林
女子ゴルフ「トリプルボギー不倫」に重大新局面 浅井咲希がレギュラーツアーに今季初出場で懸念される“ニアミス” 前年優勝者・川崎春花の出場判断にも注目集まる
NEWSポストセブン
6年ぶりに須崎御用邸を訪問された天皇ご一家(2025年8月、静岡県・下田市。撮影/JMPA)
天皇皇后両陛下と愛子さま、爽やかコーデの23年 6年ぶりの須崎御用邸はブルー&ホワイトの装い ご静養先の駅でのお姿から愛子さまのご成長をたどる 
女性セブン
「最高の総理」ランキング1位に選ばれた吉田茂氏(時事通信フォト)
《戦後80年》政治家・官僚・評論家が選ぶ「最高の総理」「最低の総理」ランキング 圧倒的に評価が高かったのは吉田茂氏、2位は田中角栄氏
週刊ポスト
コンサートでは歌唱当時の衣装、振り付けを再現
南野陽子デビュー40周年記念ツアー初日に密着 当時の衣装と振り付けを再現「初めて曲を聞いた当時の思い出を重ねながら見ていただけると嬉しいです」
週刊ポスト
”薬物密輸”の疑いで逮捕された君島かれん容疑者(本人SNSより)
《28歳ギャルダンサーに“ケタミン密輸”疑い》SNSフォロワー10万人超えの君島かれん容疑者が逮捕 吐露していた“過去の過ち”「ガンジャで捕まりたかったな…」
NEWSポストセブン
中居正広氏の近況は(時事通信フォト)
反論を続ける中居正広氏に“体調不良説” 関係者が「確認事項などで連絡してもなかなか反応が得られない」と明かす
週刊ポスト
スーパー「ライフ」製品が回収の騒動に発展(左は「ライフ」ホームページより、みぎはSNSより)
《全店舗で販売中止》「カビだらけで絶句…」スーパー「ライフ」自社ブランドのレトルトご飯「開封動画」が物議、本社が回答「念のため当該商品の販売を中止し、撤去いたしました」
NEWSポストセブン