『冬の子 ジャック・ケッチャム短篇傑作選』/ジャック・ケッチャム 著 金子浩 訳
【書評】『冬の子 ジャック・ケッチャム短篇傑作選』/ジャック・ケッチャム 著 金子浩 訳/扶桑社ミステリー/1320円
【評者】東山彰良(作家)
ホラー映画にまつわる小説を書こうとしたことがある。主人公の映画評論家が一念発起してホラー映画を撮ろうとするスラップスティックなコメディだ。一番色っぽい女がまず殺される、濡れ場の男女は必ず殺人鬼の餌食になる、粋がった不良はもう死んだも同然、というようなよくあるホラー映画あるあるを逆手に取って読者を笑わせようという肚だった。
本書に収められた十九の短篇のどれひとつをとっても、そんなふざけたものではない。いずれ劣らぬ粒ぞろいだが、アウトローたちが不可思議な死に方をしたならず者について語らう「運のつき」などは、ほとんど幻想文学の領域である。とりわけブラム・ストーカー賞短編賞に輝いた「箱」と「行方知れず」の二作が白眉だ。
前者は、たまたま電車で同席した男が持っていたプレゼントの箱を覗いたせいで、いっさい食事をとらなくなった男の子とその家族の物語だ。息子はいったいなにを見てしまったのか? 父親の混乱は、しかし、それだけでは収まらない。後者は、ハロウィンの夜に子供たちが訪れるのを待ち望む女の、夢ともうつつともつかぬ小品である。絶望からようやく立ち直りかけた彼女を、希望という名のさらなる悲劇が襲う。
小説の良し悪しは、読後の余韻に負うところが大きい。その意味で、優れたホラー小説が醸し出す余韻は、それが不可解な幻想や突発的な暴力、出口のない恐怖を描いているがゆえにいっそう深い。理路整然としないもの、常識で割り切れないものには、それだけである種の不安を掻き立てられる。
悪意と希望の共鳴が生み出す余韻。それこそが、この残酷な物語世界をとおして作者が見せたかったものなのかもしれない。全篇に通底する不穏な不協和音は、他人の希望が潰える瞬間を待ち望む我々のうしろ暗い心にいつまでも虚ろに谺する。
※週刊ポスト2025年5月30日号