丹波哲郎とは良好な関係を保ち一時期は付き人のような役割を果たしたこともあったという(撮影/中庭愉生)
「何も言わずに受け止めてくれた」
丹波には「すみません。降ります」と報告した。その際に、丹波から問い詰められることはなかった。「ああ、そうか」の一言だったという。
「近藤さんから一部始終を聞いていたんでしょう。特に責められたり、詮索されたりするようなことはありませんでした」
原田はその後も丹波と良好な関係を保ち、一時期は付き人のような役割を果たしたこともあったと振り返る。
「丹波さんが芝居をする際に『次のセリフはこうですから』と伝えるようなこともしました。丹波さんはいつも、『ありがとう、ありがとう』と感謝を言葉にしてくれました。降板後もずっとお付き合いがありましたね」
Gメンを降板した後、原田のもとからはスポンサーが次々に離れていった。近藤が業界内で何らかの圧力をかけたのではないかとも思ったが、原田は「恨まなきゃいけないのに、できなかったんです」と述懐する。
「俳優として教わったことがあまりに多すぎた。彼は私を“役者”として認めてくれていた、と今でも感じています」
原田にとって“ハードボイルド”とは何か。
「ケガをしても痛いと言わない。女が去っても追わない。それがハードボイルドだと思う。Gメンに賭けた近藤さんの情熱も、降板後も何も言わず俺を受け止めてくれた丹波さんの姿も、まさにハードボイルドですよね」
昭和の名作の裏側には、静かに熱く燃え続けた人間ドラマがあった。
【プロフィール】
原田大二郎(はらだ・だいじろう)/1944年生まれ、山口県出身。1970年に映画『裸の十九才』主演でデビュー。『Gメン’75』で人気を博す。舞台や朗読など幅広く活躍する。
インタビュー・対談構成/小野雅彦
※週刊ポスト2025年6月27日・7月4日号