関屋警部補を演じた原田大二郎(撮影/中庭愉生)
刑事ドラマの金字塔『Gメン’75』(TBS系)の初回放送から50年。1975年5月にスタートし、7年間で355話が放送され、最高視聴率32.2%を記録した。「Gメン」とはFBI捜査官を指す俗語で、ドラマでは、警視庁から独立した特別潜入捜査官を指す。指揮官・黒木警視役の丹波哲郎を筆頭に、原田大二郎、倉田保昭、岡本富士太、藤田美保子(現・三保子)、藤木悠、夏木陽介が初期メンバーとして活躍した。関屋警部補を演じた原田大二郎がインタビューに答えた──。
原田が丹波哲郎に初めて会ったのは、あの伝説的なオープニング映像の撮影現場だった。
「スタッフに知り合いがいて、『丹波さんはあなたにそっくり』と聞いていたんです。初対面の丹波さんに『よう、よう、よう』と陽気に声をかけられて、『ああ、俺そのものだ』と思いましたよ(笑)」
「主演で」とオファーを受けた原田の出演契約は20話。周囲の反対を押し切り、東映の近藤照男プロデューサーが原田を抜擢した。近藤は、その強烈な個性と強引な采配で、現場を仕切る人物だった。
「納得できなければ、平気で編集を最初からやり直させる人でした。番組に懸ける熱量が本当にすごくてね。60歳過ぎの監督も、彼にはペコペコせざるを得ないし、若い監督は彼の情熱に弾き飛ばされているように見えました」(原田、以下同)
ドラマはたちまち人気が上昇し、原田は20話以降の契約を更新。しかし第23話~第31話に原田の姿はなかった。
「ある日の試写会で、近藤さんに『おい、大二郎。最近、アップが疲れてるぞ』と言われたんです。この一言で糸がプツンと切れました。誰が疲れさせているんだ、あんたのせいだぞ、と」
当時、Gメンの撮影は走るシーンが多く、原田も毎日のように走った。ドラマ開始当初から太ももの付け根に痛みを抱えたが、そのまま走り続けていたという。連日の過酷なスケジュールも、原田の心身を追い詰めていた。限界を迎えていた原田は、降板の意志を近藤に伝えた。
「深夜12時に吉祥寺のレストランで、近藤さんと話し合いました。延々と平行線をたどったけど、朝の6時に、2か月の休養ののち、私の演じてきた関屋警部補の殉職シーンを撮影するというかたちで決着したんです」
原田の最後の出演となったのが、第33話の殉職シーンだ。
「あのシーンのアイデアは僕が提案したんです。俺がダンダンダンとピストルを撃って、こっちに犯人が死んだ絵があって、切り返しに俺が犯人をにらみつけてる絵があって、バタンと倒れる。後ろの壁に血のりがバーっと飛び散るのはどうかなって」
鷹森立一監督が「大二郎、それがいいわ」と認め、視聴者の心に残る名シーンが誕生した。
「バタンと倒れた後、誰もセリフを発することなく幕を閉じたのは、鷹森監督の感性ですね」