「札幌のギャグ男」公式インスタグラムより
幼少期から周りと違うことでイジメを受け、「地獄の小学生時代」を送った「俺」。中学校では入学早々に学校から知能検査を受けることを勧められ、診断結果は「知的障害」と「パニック障害」。「小学3年生」で知能が止まっていることを告げられた。
特別支援学級編入の決断を迫られ、周りからの扱いの変化や、せっかくできた友達を失うことに絶望しながらも、大好きな母親を楽にさせたいという思いで特別支援学級への編入を決意する──。
児童生徒数が減少傾向にあるなか、小・中学校における特別支援学級の在籍人数は、2013年の17万4881人から2023年には37万2795人へと倍増している(文科省「特別支援教育資料」より)。そうした特別支援学級に子供を通わせる親の発信も多くなったが、子供自身の発信は少ない。
知的障害を抱え、壮絶ないじめの経験など波乱万丈な人生を歩みラッパーとなった「札幌のギャグ男」。彼が小学生だった頃は、現在よりも特別支援学級に進む子がずっと少なかった分、“その選択”は重いものだったようだ。
著書『普通じゃない』(彩図社)より、一部を抜粋して再構成する。【全2回の第1回】
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運命の検査
これは俺の人生を左右する検査だ。本能的にそう思った。病院みたいなワケのわからない施設に連れて行かれて、俺の「障がい者テスト」が始まった。向こうには、3人くらい大人がいたかな。母さんは、外の待合室で不安そうに待機していた。
せっかく友だちができたのに。楽しい中学校生活になりそうだったのに。やっとつかんだ幸せを、こいつらに潰されると思った。こいつらは悪魔だと思った。
「ここに、絵を描いてみて。ハルキくんが思う、お家の絵」
ナメやがって。子ども扱いかよ。俺は腹が立った。仕方なく、言われた通り絵を描いた。家があって、人がいて、太陽が出てて。そんな絵だ。別に得意なわけじゃないけどさ、それくらいは俺だって描けるよ。
そしたら、それを見ていた大人たちの顔色がみるみる変わっていくのがわかった。
「この絵は、どういう意味で描いたのかな?」
「意味っていうか、描けって言われたから……」
ヤツらは黙り込んだ。
「……じゃあ今から言う数字を覚えて、復唱してみて」
これはクリアできた。
「次は、その数字を逆から言ってもらえるかな?」
「……」
言葉が出てこなかった。嘘だろ? 俺ってこんなこともできないのかよ。なんで、こんな風に生まれてきてしまったんだ。俺は本当に、障がい者なのかもしれない。事実が受け入れられなくて、頭が真っ白になった。
「知能に、障がいが見つかりました」母は号泣した
検査が終わったあと、母さんと昼ご飯を食べに行った。久しぶりの、2人きりのデートだった。
サッカー場が見えるテラス席で、きれいな芝生を見ながらロコモコ丼を食べた。正直、味なんかまったくしなかったよ。きっと母さんもそうだ。それでも、2人でカラ元気みたいにロコモコ丼の味を褒めまくった。そうでもしないと、おかしくなりそうだったんだ。