『酒鬼薔薇聖斗は更生したのか 不確かな境界』/川名壮志・著
【書評】『酒鬼薔薇聖斗は更生したのか 不確かな境界』/川名壮志・著/新潮新書/968円
【評者】武田砂鉄(フリーライター)
書籍タイトルを見て、彼はどこで何をしているのだろうと思う。1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件の犯人は私と同い年だ。その数年後、「キレる若者」と括りながら語られた事件の犯人もこぞって同世代だった。私は特にキレない若者だったが、すべての若者を大きな袋に突っ込み、まとめて怖がる乱暴な世間を煙たがっていた。
酒鬼薔薇聖斗=少年Aが関東医療少年院を仮退院してから20年以上が経過する。その後、手記を発表して物議を醸した。手記だけではなく、グロテスクなイラストをウェブサイトに発表した。彼の自我を知り、本当に更生しているのだろうかとの疑いが濃くなったが、そもそも何がどうなれば更生なのか。共通の認識があるわけではない。更生した、ではなく、「再犯をしていないAは、更生していないとはいえない」。では、それは、更生とはどう異なるのか。
少年Aの事件記録を裁判所が破棄していたことが発覚、神戸家裁はあくまでも「問題なし」との立場を崩さなかった。社会に衝撃を与える事件が起き、それが少年少女によるものだと知ると、理由を探す。
こういう家庭環境だったから、被害者との関係が悪かったから……理由を探し当てると、自分や身の回りとは違うと安心する。衝撃を受け止めながらも、事件を遠くに置く。犯罪の軽重とは異なる尺度で事件を消費していく。今では、SNSで不確かな情報が流布され、家族や関係者まで名前や居住地が晒されてしまう。
国は未成年の定義を変動させてきた。たとえば、19歳にできること・できないこと、刑事犯はどうなるのか、完璧に整理できる人は少ないはず。裁判員制度で被告が「特定少年」だった場合、高校3年生同士が「大人」と「少年」の立場で同じ場に出る可能性があると知った。ぼやけた輪郭で「更生」を判別する私たちの目が問われている。
※週刊ポスト2025年7月11日号