古谷敏(ふるや・びん)/1943年、東京生まれ。1966年に『ウルトラQ』のケムール人、ラゴンに抜擢され、そのスタイルの良さが評判を呼び、同年『ウルトラマン』のスーツアクターに
古谷:もうひとつ、この本には大きなテーマがあるんです。『ウルトラマン』の世界観を創り上げたひとりであるメイン脚本家の金城哲夫さんと僕の友情秘話と、なぜか金城さん単独脚本の作品ではスペシウム光線が必殺技になっていないという謎にも迫っています。前田さんも試合中、これで決めるぞ、と技を出したときに、決まらなかったりすることもあったんでしょ。
前田:ありました。そのほとんどがタイミングのズレなんです。
古谷:ズレというのは?
前田:その日の体調だったり、相手の動きを読み違えたりしたときに、ワンテンポ自分の動きが遅れたりするんですよ。そうなると、技の形が崩れてしまい、相手にダメージを与えられなくなる。
古谷:焦るよね。
前田:焦りますね。怖いのは、そういう状況になると、相手のカウンターをもらいやすくなるんですね。ガーンと一発、重たいカウンターをもらうと一瞬、記憶が飛びます。そういえば、ウルトラマンの戦いの動きは、古谷さんがお考えに?
古谷:ですね。撮影当初は殺陣師もいませんでしたから、僕とカメラマンと監督で大まかな動きの流れだけを打ち合わせして、あとは怪獣のスーツアクターと即興で戦いを創り上げていったんです。
前田:それは凄い。ウルトラマンは日本初の巨大ヒーロー作品でモデルとなるものがない中、一から何もかも創り上げて成功させ、あとに続くヒーロー作品の礎となりましたし、その努力には頭が下がります。お会いできて嬉しかったです。
古谷:僕も前田さんにお会いできて、新たな活力をいただきました。これからもウルトラマンの魅力を、いろんな世代に語り継いでいきたいですね。
(前編から読む)
【プロフィール】
古谷敏(ふるや・びん)/1943年、東京生まれ。1966年に『ウルトラQ』のケムール人、ラゴンに抜擢され、そのスタイルの良さが評判を呼び、同年『ウルトラマン』のスーツアクターに。1967年放送の『ウルトラセブン』ではウルトラ警備隊のアマギ隊員を好演。2024年、NHK朝ドラ『虎に翼』にゲスト出演し、話題を呼ぶ。著作に『ウルトラマンになった男』(小学館)
前田日明(まえだ・あきら)/1959年、大阪府生まれ。1977年に新日本プロレスに入団し、デビュー。その後、第1次UWFへの移籍を経て、第2次UWFを旗揚げ。1991年には総合格闘技団体RINGSを設立、1999年のアレクサンダー・カレリン戦で現役引退。青少年育成の格闘技イベント「The Outsider」をプロデュースし、朝倉未来、海の朝倉兄弟を見出している。
写真/朝岡吾郎
※週刊ポスト2025年10月10日号