表彰式のとき、馬上で田原成貴は泣いていた。そんな姿が絵になる男なんだ。今年話題になった藤田伸二『騎手の一分』には、この時の逸話が紹介されている。レース後に、田原は藤田に言った。
「どやった? ファンは酔うてたやろ」「感動するやろ、あの方が」。
“策士”田原のウソ泣きだったという説だ。私には、ええ格好しいの田原らしい強がりにも思えるのだけど、そんなふうに騎手の心まで覗いてみたくなるような魅力が田原にはあった。
テイオーとの有馬制覇によって、一気に田原に運が向いてきた。平成7年には伏兵馬マヤノトップガンで菊花賞を勝つと、その勢いで有馬記念まで制した。桜花賞も平成7年、8年と連覇した。天皇賞の前哨戦に過ぎないG2阪神大賞典(3000メートル)で、ナリタブライアン相手にトップガンをぴたり並走させ、他の馬を置き去りにして、ゴールまで800メートル激走したレースは、強い印象を残した。
藤田によれば、田原は「俺ら騎手はアーティストだぞ。競馬は自分の作品にしなくちゃいけない」と語っていた。菊花賞でゴールした直後に、十字を切って投げキスしたパフォーマンスに、観客は度肝を抜かれた。いまでは見慣れた光景だが「田原さんはクリスチャンですか?」と真顔で訊くファンも多かったという。
「投げキスは、いろんな女に、アレはオマエにやったんだ」って言えるから。そう茶化す姿は、まるで歌舞伎の色悪のようだった。
覚えておいてくれよ。あの競馬黄金時代は武豊ひとりが作ったんじゃない。武豊が太陽なら、田原成貴は月だった。その田原が、あっと驚く騎乗で、人気の武豊にG1レースで幾度となく苦杯をなめさせた。そんなドラマがあったから、空前のブームが生まれた。
たび重なる刑事事件で、競馬界から追われた田原を惜しむ気持ちはある。しかしそんなラフプレーをしでかして、ファンの記憶にいまも棲みついている。ひょっとして田原の思惑通りになったのかもしれないと思ったりもする。
※週刊ポスト2013年12月6日号