◆悲劇性が高いほど聖地は聖地になる
「彼が出自を公言したのは、開港記念土産として市販された古地図に部落を特定する町名があると抗議に行った際、市長室にあった同じ地図ではその町名が伏せられていたことが発端でした。新聞はこの一件を記事にし、出自を明かす格好になった彼は長崎初の県連を興す。
一方、中尾も復員後は上野で靴磨きをしたり、さんざん苦労して、隠れキリシタンの末裔も多い五島の中学教師になる。そして子供たちの前で島崎藤村『破戒』さながらの告白をした彼は、磯本共々、信者側との和解に目的を見出していきます」
その磯本が〈原爆のときは長崎におったとさ〉と、致命的な嘘をついていたことを、氏は「事実を知った者の責任として書かなければならなかった」という。それでもその功績が色褪せることはなく、本書は後半、彼らが〈私怨〉の壁を克服する姿を、一層丹念に追う。
転機は両者の〈連帯〉を裏付ける史実の発見だった。長崎奉行は彼らを隣住させ、監視や処刑すら命じたが、元々信者も多かった部落民の中には命を賭してこれを拒み、匿う者もいたのだ。
「そうした材料が発掘できたのは確かに幸いでしたが、むしろ結城神父は自分たちの愛の世界がいかに狭隘で排他的か、〈真実を見よ〉と、厳しく諭したといいます。そもそもキリスト教では殉教は至上の行為とされ、秀吉が二十六聖人を磔にした西坂は中世の頃から世界的に知られた聖地でした。
神父はそこに記念館を作るべく派遣されながら、より広い心で解放運動に携わる。僕はそこにあらゆる宗教が主題とすべき許しを感じる。実は〈クロシュウ〉と虐げられた信者側も相当部落側を差別していて、許しと狭隘という視点なくして和解はなく、神父が自著に引く一茶の〈喧嘩すな あひみたがひの 渡り鳥〉は彼の心そのものだと思います」
一方で悲劇性が高いほど、聖地が聖地たるのも事実で、長崎の殉教の歴史は戦後、観光の目玉にもされてゆく。
「世界遺産の登録も、僕は見送られてよかったと思う。不都合な過去に蓋をした今の明るすぎる長崎は、日本の戦後復興の縮図ですから。生き抜くためとはいえ、人間嘘もつけば差別された側が酷い差別もする。悲劇が多ければ多いほど、虚ろな英雄が生まれてくるんです」
一時国政を志した磯本も、英雄になる日を夢見たのか。今となってはわからないが、愚かすぎる嘘の向こうに、今まで見たこともない生身の長崎が、透けて見えるのは確かだ。
【プロフィール】たかやま・ふみひこ:1958年宮崎県高千穂生まれ。法政大学文学部哲学科中退。2000年『火花──北条民雄の生涯』で大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞をW受賞。著書に『「少年A」14歳の肖像』『エレクトラ──中上健次の生涯』『どん底──部落差別自作自演事件』『宿命の子──笹川一族の神話』『ふたり──皇后美智子と石牟礼道子』等。執筆の傍ら「高千穂あまてらす鉄道」代表取締役を務め、再建に尽力。178cm、68kg、A型。
■構成/橋本紀子 ■撮影/国府田利光
※週刊ポスト2016年5月20日号