内野:聡明な息子でもあり、恋に落ちている感じもあったと思います。彼をリクルートしようとする回があったでしょ。でも断られるんですね。そのとき、とても振られた気持ちになりました。振られたからこそ腹が立つことってあるじゃないですか。
――家康にとって、真田はどういう存在でしょうか。
内野:敵だけど対等に対峙しちゃいけないと、常に自分を戒めていました。家康は桁違いの大名じゃないですか。対して真田は、信州の田舎侍でしかないんです。それとの戦いだから、真っ向勝負になっちゃうと、家康が小さくなっちゃうんです。だから念頭に置いていたのは、「たかが信濃の田舎侍、でも面倒くさい奴だ」。喉に引っかかった小骨のような存在として捉えていました。
――大坂の陣は、家康は自信満々だった?
内野:そうですね、楽勝だろうと。ただ、大坂の陣の頃は世代交代の時代で、兵は戦争を知らない若手の世代なんですよ。だから三谷さんは、面白いシーンを用意してくださいました。
敵の攻撃を避けるための“仕寄せ”という塹壕(ざんごう)のようなものを、徳川方の若手たちが掘っているんです。それを散策している家康がそれを見て「違う!」と、自らシャベルを持って掘っちゃうシーンがありましたよね。実はあのシーンで、腱鞘炎になったんですよ(笑い)。
――楽勝と思っていた家康が慌てるシーンもありますね。
内野:伊賀越えで走るときは、家康は40代ぐらいだったんだけど、大坂の陣では70代になっています。だから、よちよち歩きっぽく演技し始めていたんですね。じいちゃんになったらこうなるのかなって自分なりに想像して、芝居に取り入れたんですね。
そうしたら台本をもらって、またまた伊賀越え以上に走って逃げるシーンがあって。「ことのほか健脚である」なんて書いてあって。「えっ!」って(笑い)。これが連ドラの怖いところで、次の話をもらっていないので、計算ができないんです。それで、おじいちゃんでも火事場の馬鹿力でダッシュをかけるんだ!という開き直りで演じてましたね。いや、やっちゃいましたね。普段よちよち歩いているくせに、すごい走り方をしているシーンは、必見です(笑い)。
――草刈正雄さんとの共演の感想を教えてください。