「24時間戦えますか」
そんな言葉とともに、ファミレスだけでなく、コンビニ、スーパー、薬局、飲食チェーン店など、多くの産業が年中無休・24時間営業になっていった。ついに終焉を迎えたのは、そんな、より便利さを追求していった時代なのだろう。
「ファミレスはもともと家族の絆を確認できる場所でした。原点回帰だと思えばいいのかもしれません」(今さん)
◆週末は家族で食事をしよう――そんなコンセプトで始まった
『ロイヤルホスト』の創業者は故・江頭匡一氏。すでに1969年からセントラルキッチン(集中調理工場)を導入するなど、ファミレスの基本形の多くを作っている。
「1970年の大阪万博では、ピーク時の来客6000人を待たせることなく17回転させて大成功を収めました。『ロイヤルホスト』がファミレスの元祖といってもいいでしょう。名称としてのファミレスを誕生させたのは『すかいらーく』。1973年頃から“ファミリーレストラン”を打ち出し始めました」(今さん)
今さんによれば、当時、戦後生まれの若い夫婦と子供の家族を指す“ニューファミリー”という言葉が流行していた。父親は家族のために平日は夜遅くまで働くため、週末は家族で食事をしよう――そんなコンセプトで始まったのだ。
その後、アメリカのドーナツチェーン店から生まれた『デニーズ』も参入し、ファミレス業界は群雄割拠の時代に。当時は娯楽も少なく、ファミレスは、今でいうアミューズメントパークだったという。
「差別化するための24時間営業が、やがてファミレス=24時間営業という代名詞となっていきました。そして、ファミリーだけでなく、より広い客層を集めるようになったんです。ドリンクがおかわり自由ですから朝まで長居できる。大学生など若年層に愛されるようになっていきました」(今さん)
真琴つばさ(52才)も、朝まで長時間滞在組の1人。
「最長8時間くらいいましたね。デザートから始まって、前菜いって、メーンいって、デザートに戻るってコースをしたこともあります(笑い)。頻繁に行くようになったのは、宝塚を退団した後。コラムを書くお仕事は、ファミレスの大きい机がいちばんいい(笑い)。隣の人との距離が結構遠いので、個が確立されているし、ちょっと聞こえる雑音も、BGMになってはかどるんです。夜明け、白んできた空を見ながら、仕事を終えたすがすがしさにひたる(笑い)。私にとって、ファミレスは仕事場であり、リビングでもあるんです」(真琴)
※女性セブン2017年2月23日号