落語という文化、そして落語を聞きにくるお客様を残さなきゃならない。最近の若い落語家は、古典落語のなかに「くすぐり(本筋とは関係のないギャグ)」を入れる人がいます。でも、くすぐりは、入れていいものと悪いものがある。その分別がつかない人が多い。
本来なら1時間かかる噺を20分で終わらせて、「オレは器用だ」なんていってる馬鹿もいるけど、古典落語は完成されたもの。むやみやたらに手を加えてはいけないんですよ。そういう連中に限って、人のことは批評できても、自分を見ることができない。「自分を知れ」といいたいですね。
最近はマクラがウケて得意になってる落語家もいるけど、本題のほうがウケなきゃ意味がない。先代の古今亭今輔師匠(歌丸が最初に師事した落語家。1976年、78歳で没)は「噺家は出てきた時の拍手よりも終わって袖に下がる時の拍手のほうが大きくなければダメだ」と仰っていたけど、その通りです。
今は若い噺家がずいぶん活躍して、客層も若返っている。それはいいことだなと思いますけど、若い噺家連中には、勘違いしてほしくないですね。
落語家になって今年で66年目。苦しいことばかりで、楽しいことなんてほとんどなかった。それでも、生まれ変わったらまた、落語家になりたいですね。
(生まれ変わったらまた妻・冨士子さんと一緒になりたいか、との問いに)それは……どうだろうね(笑い)。
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約1時間のインタビューを終え、高座に上がっていった歌丸。落語を終えて楽屋に戻ってくると、鼻につけたチューブを指さしながら記者に「何か違和感ありました?」と尋ねた。「大丈夫でしたよ」と答えると、「そうですか、ウェッヘッヘ!」と、またいつもの笑みを浮かべた。
※週刊ポスト2017年2月27日号