「『早く家族を呼べ』『死んじゃうぞ』、そんな声が聞こえて目を開けてみたら、そこは病院でした。たまたま職場の後輩が家に来てくれていて、すぐに救急車を呼んでくれたようで助かりました」
一命はとりとめたが、入院生活を1か月間続けているうちに、「自分は生かされているんだ」という思いを強くしたという。もう好きなことをしよう――そう心に決めて、田中さんは市役所を早期退職する。そして両親を看取った後、その先の自分の人生を考えて熱海へ居を移すことにした。
「親の介護をする前に、よく、釣りをしに来ていたんですよ。それに、退職したら海が見えるところで暮らしたいとも思っていたんです。ここは交通の便もいいし、釣りをしていたときに堤防から見える海がとてもきれいだったのを思い出して、終の棲家とするなら熱海だと思って決めました」
当時は、大好きな釣り三昧の日々を過ごすつもりだったが、今は釣りではなく、ガイドとしてフル稼働している。
「結局、釣りは熱海に移住して3回くらいですかね(笑い)。住み始めると『お宮の松はどこですか』って、観光客のかたに何度も聞かれたんですよ。それで、貫一とお宮が主人公の『金色夜叉』に興味を持っていろいろと調べてみたら、あまり知られていないエピソードがあって面白い。それに私の命は一度なくしかけた命ですから、いろんな人のためになるように、ボランティアでガイドをしてみようとお宮の松の前に立つようになったんです」
そのガイドが今は、田中さんの生きがいにもなっている。毎日のようにお宮の松の前に立つ田中さんも、観光客の増加を肌で感じているという。
「私がガイドをすると、多いときには100人近くの人が集まります。それなのに、この像や、尾崎紅葉先生の書いた『金色夜叉』に関して、若い人はもちろん、年配のかたもほとんど詳しく知らない。『お宮は芸者じゃないんですよ』と言うと、『えっ、そうなんですか』と驚いて、それで話を聞いてくれて、さらに熱海に興味を持ってくれるんです」
※女性セブン2017年2月23日号