だが1986年に亡くなった後は、襲名をめぐり一門を揺るがす大騒動が起こった。本来なら「松鶴」の後継者は一番弟子の笑福亭仁鶴(80)だったが、彼は「自分で大きくした仁鶴でやっていきたい」と拒否。代わりに仁鶴は独断で六代目の七番弟子である笑福亭松葉を指名した。
これには兄弟子たちの不満が爆発。騒動は泥沼化し、お家騒動は当時のワイドショーを賑わせた。しかも、指名された松葉は病に倒れ、七代目を継ぐ前にこの世を去った。名跡は遺贈されたが、それ以来、「松鶴」は“空席”のままだ。前出の落語関係者がいう。
「大阪では『松鶴の名前も復活させてほしい』という声が根強い。だが、泥沼の後継者争いを経験した弟子たちは総じて“そんな名跡を継いで嫉妬されたくない”と敬遠気味。そこで名前が挙がっているのが鶴瓶なのです」
近年の鶴瓶は、確かに落語へ傾注している。若い頃からテレビやラジオを中心に活躍し「落語をやらない落語家」と皮肉られてきた鶴瓶だが、2002年に春風亭小朝(61)から大きな落語会への出演オファーを受けたことをきっかけに真剣に古典を学び直した。2007年には六代目の得意とした演目「らくだ」を「鶴瓶のらくだ」へと改編し全国ツアーを開催して2万人を動員した。
「それだけじゃありません。六代目の自宅を買い取って多目的ホールに改装し、多忙にもかかわらず、月に一度は落語会を開催しています。
六代目の死後30年近くたった今でも、毎月の墓参りは欠かさない。それほど師匠への思い入れは強いんです。大阪では鶴瓶を推す声は日増しに高まっている」(同前)
鶴瓶の所属事務所に聞くと「(待望論は)ありがたい話ですが、それはないです」との回答。鶴瓶が“お跡がよろしいようで”と受け入れる日は来るか──。
※週刊ポスト2017年3月17日号